2010「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
このサイトに掲載の文章・イラスト・写真等の無断転載を禁じます。
 
フォーム
 
これがあのサボリ魔の息子?成長した姿に目を見張った
 「お母さん、合格した…」
 志望校のAO試験の発表の日、息子から安堵した声で電話がありました。私は、
 「ああ、良かったあ。おめでとう。良くがんばったね」
と返すのがやっとでした。この一年、本人はもとより、家族も、離れて暮らす祖父母までが、待って、待って、待ち望んでいた合格の知らせです。電話を切った後、うれしさと同時に体中の力が抜けるような気がしました。
 昨年の三月、息子の浪人が決まった時、私は迷わず北予備の入寮を勧めました。長男も北予備にお世話になったことがあり、その指導方針や生活管理のすばらしさを知っていたからです。息子もすぐに承諾しました。北予備よりも規則が緩やかな予備校を選ぶという選択肢もあったのですが、『僕のようなサボリは、強制でもされない限り勉強しないから』というのがその理由でした。
 夏、リフレッシュ休暇で一時帰省した時は、息子の精神的な成長に驚きました。
 「志望校は絶対に下げちゃいけない。一度下げると、ずるずる落ちていくだけだ」
 「どうせ一年棒に振るなら、徹底的にがんばった方がいい」
 「寮は意識の高い人が多いから、大志寮に入って良かったと思う」
と熱く語る姿に、これがあのサボリ魔の息子かと目を見張りました。寮長さんや先生方の教えの賜物だと感じました。「受験は団体戦だ」という言葉をよく耳にしましたが、本当にその通りだ実感しています。休みの日も北予備に行って自習する仲間の姿に息子も触発されたそうです。毎日学習する環境があり、共に闘う仲間の存在があってはじめて、一年間がんばり続けることができたのでしょう。北予備には本当に感謝しています。
 息子はひと足先に退寮しますが、今まさに受験に挑んでいる仲間の皆さん全員が、栄冠を勝ち取られることを心から祈っています。
 
神戸大学(海事科)AO合格 H・A君(山口・下関西高校卒)のお母さん
 
 
北予備に娘を入れたのは私も上の娘もお世話になったから
 本当に、昨日まではとても長い一年間でした。
 しかし、本日九州大学医学部合格を本人から報告された瞬間、とても短く充実した時間に変わりました。
 親馬鹿かも知れませんが、私の娘は去年の受験まで中学・高校と勉強に真面目に取り組み、九州大学医学部合格もあと一歩のところにあったと思います。しかし、受験直前に「嘔吐下痢症」にかかり、当日は彼女の実力を発揮することが出来ませんでした。そのとき、受験は学力以外の要因によって結果を左右されることを痛感させられました。
 北九州予備校に娘を入れたのは、自分も上の娘も北予備にお世話になり、本人もここ以上に受験勉強に専念できる環境は無いと、親子共々考えたからです。
 しかし肝心の娘は、授業が始まるまで緩みに緩み遊んでばかりいた結果、クラス分けテストで希望のクラスに入ることが叶わず焦っていました。それが奮起するきっかけとなり、授業が始まってからは真摯に勉学に取り組みました。受験勉強を進めていく中で、九大医学部の難しさを再確認し不安になることも多くなり、弱音を吐くようになりました。
 父である私ができたことは、娘と毎日顔を合わせ、声をかけてやることぐらいでした。
 浪人生の辛さや不安は、その時その場所で味わっている本人しか分からないものです。それに耐え、打ち勝ち『来年も九大医学部に挑戦し、合格を手にしたい』という目標を、見事初志貫徹した娘をほめてやりたいと思います。
 この一年間サポートして頂いた北予備の西チューター、講師の皆様本当にありがとうございました。
 
九州大学(医―医)合格 H・Hさん(福岡・小倉高校卒)のお父さん
 
小学2年からの「医者になる」夢を貫いた娘を誇りに思う
 娘が小学校に入学した頃、私の体調が崩れ寝込む日が多くなった。心配した娘は、父親に聞いた。「私が何になればママを元気にしてあげられるの?」「お医者さんかな」。
 小学校二年の娘が医学の道へ行くと決心した時だった。それから十一年が経ち、医学部に行くという目標を見失わず、娘はひたすらこつこつ努力の毎日を送った。そして、娘は「北予備に行きたい。家から近いのだが寮に入れてほしい」と頭を下げ、蛍雪寮の寮生となった。いろいろな壁にぶつかり、転び、泣き、また立ち上がり前を向いてひたすら走る。一年間そのくり返しであったと思う。ただ、いつもどんな時も娘は前だけを見て走り続けていた。私も寮宿泊を経験させていただき、チューター、寮長・寮母さん、どれだけ多くの方々が娘を支えて下さっているのかと、感謝の気持ちでいっぱいだった。何より親として“安心感”を与えていただいた。
 私の誕生日。娘から手紙が届いた。今年は“医学部合格”をプレゼントするからと書いてあった。十一月のことだった。
 センターが終わり、山大医学部の推薦試験へと向かった。面接は校長先生に鍛えていただき、西チューターからたくさんの助言を受けながら、推薦試験の勉強をしていた。試験当日の娘の迫力には驚いた。山大医学部に行きたいのだという強い思いが、体中から溢れていた。前日の夜、寮生さんや予備校の友人からの、心のこもった激励の手紙を読ませてもらった。ライバルであり同志なんだ。皆で切磋琢磨しここまできたのだと思うと、感動した。
 合格発表の日。娘からの電話。嬉しかった。小二からの夢が叶った瞬間だった。ぶれることなく、前を向いて努力を続けた娘を、誇りに思う。娘を支え励まして下さった西チューター、寮の両親と頼っていた寮長・寮母さん、校長先生はじめ諸先生方、ありがとうございました。「努力は実る」「夢は叶う」。この言葉を胸にこれからも走り続けるだろう。
 
山口大学(医―医)推薦合格 K・Tさん(福岡・照曜館高校卒)のお母さん
 
通学せず寮に入って喜んでいた娘。山大(医)に合格
 後期は足切り、前期不合格と早々に受験は終了し、北予備へと向かいました。我が家から三十分で通学できる距離ですが、一年間勉強に集中したいと入寮を希望し手続きをしました。良い友人もすぐに沢山できて前向きでとても喜んでおりました。
 初めはのんびりと楽しそうでしたが段々焦りが見え始め、成績が思う様に伸びずこのまま医学部を受験できるのかと悩みはじめました。しかし手元に届く模試の結果は去年とは明らかに違い、手応えのあるものとなっていました。去年とは違う、明らかに実力は付いてきているよと伝え、娘も心を決めたのは防衛医科大学校医学部受験の直前でした。
 あっという間に受験となりましたが、私立医学部はなかなか思う様な結果が出ず、親としてはただ明るく励ます事しか出来ませんでした。西チューターにも励まして頂き、又娘も前向きに粘り強く受験した結果、最後に受験した福岡大学医学部に合格する事ができました。これが本当に自信となり、前期試験も落ち着いて受験する事ができたようです。山口大学の合格発表では娘の番号かと何度も、何度も番号を確認してしまいました。
 合格後『授業が始まってから先生が言われた通りに復習をした。段々復習の量が増えていって大変になるのだけれど、一生懸命頑張ってやり続けた。言われた通りにやり続けたから合格出来たのだと思うよ』と娘が話しました。先生を信じて日々努力を積み重ねた事が合格につながったのだと思います。
 現役時代、娘は『浪人だけは絶対イヤ』と言っていましたが、北予備に行った後は『本当に貴重な一年だった。北予備に行って良かった』と言っています。この経験は今後苦しい時も乗り越えられる力になる事と信じております。熱心にご指導下さった西チューターはじめ先生方、蛍雪寮の寮長・寮母さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 
山口大学(医―医)合格 T・Iさん(福岡・明治学園高校卒)のお母さん
 
学習・生活両面で北予備と寮に任せれば安心
 三九度の熱があり大志寮から帰宅してきた息子は、数日後に入試を控えておりました。一年間がんばって来たので、何とか受験をさせたいと思いましたが、下熱しないまま受験当日となり、こうなったらゆっくりしようとのことで、息子は散髪に行きすっきりした坊主頭となり、寮へ帰って行きました。
 残るは前期日程、後期日程の二回の試験。面談の際、担当チューターの先生からのご指導を受け、山口大学に目標を絞り日々の授業・自習を続けて来た事実を信じ、受験に臨んだと思います。二年間で祖母の忌引き以外授業は全出席、でき得るだけの努力はしたと思います。
 合格発表当日、昼前に息子から電話が入った時は、何と声をかけたら良いかと思っていましたら、「番号があった。合格した。チューターの先生と確認した」との興奮した喜びの声でした。長い受験のゴールの瞬間でした。
 高校を卒業した時点で何処の予備校にお願いすればいいのだろうと知人に相談したところ、北九州予備校にお願いするのが一番との助言で、以来二年間大変お世話になりました。寮の父母宿泊体験では、大志寮中村寮長の講話と「もう一度受験できる機会を両親に感謝する」との全寮生の唱和、そしてバランスのよい食事と生活面においても学習においても、北九州予備校に任せれば安心と思いました。
 「努力は実る」の言葉を信じ、授業・自習での基礎から実戦レベルの学習を受け、チューターの先生方の御指導を頂き努力した結果だと思いました。ご指導頂きました先生方に心から感謝申し上げます。
 北九州予備校で過ごした二年間は、息子にとっても、また家族にとっても大変有意義な二年間であったと思います。
 先生方、本当にありがとうございました。
 
山口大学(医―医)合格 H・S君(福岡・明治学園高校卒)のお父さん