2011「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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行ける大学ではなく、行きたい大学に!
 思い起こせば一年前の三月九日。そう、九大の合格発表の翌日から、息子の“限界探しの浪人生活”が始まりました。他に行く所が無かったわけではありません。私立も後期で受けた国立も合格していたのですが、どうしても九大文学部でやりたいことがあるというのです。自分はまだまだ限界まで勉強してはいない、とことん最後までやり通して、もう一度挑戦したいというのです。本当の意味での第一志望にこだわった言葉でした。
 行ける大学ではなく、行きたい大学に!そうやって決意を固めての北予備入学でしたので、端から見聞きすれば厳しい印象なのでしょうが、親は元より当の本人は当たり前のことばかりで、北予備での寮生活は何も不自由は感じていなかったようです。それよりも勉強でわからなかったことは学校ではもちろんですが、寮の仲間に聞けばすぐにわかるというのですから、そのレベルの高さを感じずにはいられません。なかなか連絡も取れない状況の中、毎月送られてくる北予備からのお便りや、同封されてくる仲間と共に楽しそうにしている我が子の写真、そして田布施寮長のコメント「元気です」の言葉に安心感を覚えたものです。
 こんなにも息子の事を一生懸命考えてくれているチューターがいる 寮長さんがいる!そして、お互いに切磋琢磨し自分の目標へ向かって伸び続ける仲間がいる!本当にこの一年間は、この子の人生の中でもピカイチに輝いた一年ではなかったかと思います。
 知り合えたみなさんとの出会いを大切に、そして、これから踏み出す一歩に希望をのせて…。私は、正々堂々と前を向いて歩み続ける我が子を誇りに、これからも頑張っていくであろう後ろ姿にエールを送り続けたいと思います。自分の限界探しへの旅はまだまだ途中だと思うので、たくさんの道草を食いながら楽しんで行ってほしいと思います。
 最後になりましたが、出会った全ての方々に感謝して…。ありがとうございました。
 
九州大学(文)合格 Y・K君(長崎・長崎日大高校卒)のお母さん
 
親は弁当を作って送り出し夜は話相手になる。そんな毎日でした
 親子揃ってのんびりした性分が災いして、高校三年次の入試は全て不合格。なんとかなると思ってましたが、入試を甘く見てました。もはや浪人して再チャレンジするしかあるまいと、娘は北予備の門を叩きました。
 箱に入った、先輩方の合格体験記を親子して読ませていただき、早々に、「うーん、反省」「入試ナメたらいかんな」。
 大学入試は一点を争う勝負。大学入試は情報戦。
 大学入試は受験生、保護者、予備校の三者一体となった戦い。
 と、いったようなことを悟りました。
 正直、「これはしんどいなぁ~」と思いましたが、北予備に入校したのだから、やるしかありません。来年は合格体験記書きたいですから。受験することについての諸々のこと共は、これは「当人の了見」というものです。一点でも多く取れるよう、自らのスキルを磨くこと。そのためには努力あるのみ。「努力は実る」という、その言葉を信じて、娘は精進しました。おかげ様で良き講師、チューターの先生方、学友の皆さんに恵まれ、楽しくて充実した毎日であったようです。ありがとうございました。
 親は、ただ見守るだけでした。毎日、弁当を作って送り出し、夜、帰宅してからは話の相手になる。そんな毎日でした。今思えば、本当によくこの一年、娘を北予備に「預かって」いただいたなあと。家に住んでいながら住んでいないような存在になりました。子どもの巣立ちの心の準備には、よい期間であったかもしれません。試験が近づき緊張感が高まった頃に落語のDVDをさりげなく流したら、いつの間にか二人一緒に大笑いしていたというのも楽しい思い出です。受験生とて「緊張と緩和」は必要ですよね。一家揃って深夜のティータイムもなかなかオツでした。まあ、そしてにしても合格発表までの緊張は格別でした。あんな思い、何度もしたくないものです。いやはや大変な一年でした。
 
大阪大学(人間科学)合格 S・Iさん(長崎・長崎西高校卒)のお父さん
 
センターは親も驚く200点近くUpの自己最高点
 高校生活、文武両道を目指し学業と部活を必死に頑張ってきた娘でした。
 昨年、推薦試験に落ちセンターでも思う点数が取れず、前期不合格、後期で第二志望の学科に合格。第一志望の小学校の教員になりたいという夢をあきらめかけていた頃、知人より北九州予備校ならカリキュラムも整っているし、何よりまわりの皆が頑張っているから、やってみてはと、助言を頂き娘と二人面接を受けました。
 入学式では校長先生が、頑張って合格された子供さんの話を自らも涙を流し喜んでいらっしゃる姿を見て、私の心の中で予備校、浪人という暗いイメージが一変し、よしここに預けて大丈夫、一緒に頑張ろうという思いになりました。
 それからの娘は、朝一番に学校に行き、夜も一番最後まで残って勉強し、家には寝に戻ってくるだけという生活でした。私の母の葬儀の日を除いては、一年間毎日続けました。
 本当によく頑張ったと思います。
 結果センターでは、昨年を二百点近くも超える自己最高得点を取る事が出来、本人はもちろん、私達も驚きました。
 そして念願の第一志望に合格することが出来ました。
 この一年間は、娘にとってかけがえのない貴重な時間だったと思います。
 きっと、何度挫折しても前を向いて頑張れば夢は叶うよ、って自信を持って子供達に語れるのではないでしょうか。
 春からの大学生活は彼女にとって、ひとしお大切な楽しいものになるでしょう。
 いつもいつも一緒に支えて下さいました、チューター方、先生方、本当にありがとうございました。
 
長崎大学(教育―小学校教育)合格 N・Hさん(長崎・長崎西高校卒)のお母さん
 
 
息子からの合格の知らせに会社のトイレで一人むせび泣いた
 ここにたどり着くための道のりは、決して本人にとって、また家族にとっても平坦ではありませんでした。本人にしてみれば大きな挫折を味わい、苦悩したときもあったと思います。しかし、その挫折があってこそ本人を成長させ、今日の喜びがあることを考えれば、決して回り道ではなかったと、父親として確信しています。
 本人は一本気な性格であり、親の敷いたレールの上を走る性格ではありません。京大受験も本人が一人で決断しましたし、志望大学について相談されたことなど一度もありませんでした。父親としては少し寂しさを感じる時もありましたが、自分で決断し最後の責任も全部自分で負うという力強い性格の持ち主なので、親としてできることは、その目標にあった環境づくりをしてあげるしかありませんでした。
 実際に私自身、予備校の選択にあたっては、幾つもの予備校の説明会に参加しました。その中で北九州予備校を選択した理由は、厳しい校風と、規則正しい生活のできる至誠学寮があったからです。
 校訓に「努力は実る」とあるように、今回最高の結果として実ったことは、本人の努力だけでなく、ともに切磋琢磨し支えあった仲間がおり、また勉強だけに打ち込める環境を提供してくださり、指導に当たっていただいた講師の方々、寮長他、スタッフ全員のバックアップがあったからです。
 最後になりましたが、息子の成長に携わって頂いた全ての方に感謝しております。本当にありがとうございました。
 平成二十三年三月十日午後十二時五分、息子から合格の連絡を貰い、会社のトイレに入り、一人で声に鳴らない声で泣いたことを私は一生忘れないと思います。
 
京都大学(工)合格 T・U君(長崎・青雲高校卒)のお父さん
 
崖っぷちの2浪目。息子が自ら退路を断つ為に北予備+寮に入った
 「あっ、お母さん?」
 「どーやった? ダメやった?」
 「あった」
 「あった?」
 「受かったバイ」
 三月八日、正午、ネット発表。
 仕事中の私に、息子からかかってきた一生忘れないであろう合格の第一報でした。
 思い起こせば、一浪の一月、得意科目であったはずの数学で失敗し、ため息と共に帰宅。その後、そのセンターを引きずり、前期、後期ともに、不合格……二浪目の予備校生活に突入することになりました。
 そして、息子は、崖っぷちの一年をがんばる場所として、北予備の至誠学寮を選びました。なまけたい、つい遊んでしまう自分の退路を、自ら断ったのだと思います。
 入寮の日、初めて親元を離れる息子を送り、近くで昼食を済ませ、手を振って別れた帰り途、息子を出産した産婦人科の前を通りかかり、自分でも思いがけず「がんばれ!!」と胸が熱くなったのを覚えています。
 初めての寮生活を心配しておりましたが、連絡のある度、帰宅する度に、息子は親身になって下さる寮長・寮母さん、また、個性豊かな仲間に恵まれ、楽しげに、たくましくなっていきました。
 成績も、質の高い授業と、確実に時間を確保して下さる寮の自習のおかげで安定し、日毎に、自信を深めていったように思います。
 受験校決定の際、親としましては、この期に及んで、もっと確実なところをとの思いもありましたが、息子の「俺はやった!!」という自信を信じることにしました。
 そして、息子は九大医学部合格、防衛医科大学校合格の、両方を手にすることが出来ました。それも、予備校関係者の皆様、寮の皆様のおかげと感謝しております。
 本当にありがとうございました。
 
九州大学(医―医)合格 T・M君(長崎・青雲高校卒)のお母さん