2011「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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津田塾合格は「北予備+寮」に入ったおかげ
 合格通知を受け取ったのは、娘が十九歳の誕生日を迎える三日前のことでした。現役の時は最後まで一通も受け取ることができなかった合格通知。それをこうして手にすることができたのは、北予備と寮で浪人生活を送ったおかげだと思います。
 娘は、浪人するならば現役時代もお世話になっていた予備校でと考えていたようでしたが、それではまた同じ事の繰り返しになると思い、北予備に入ること、そして寮に入ることを強く勧めました。
 しかし、娘の迷いは大きく、最終的に北予備に入ると決心した三月末の時点で、小倉駅校の女子寮に空きはありませんでした。このため自宅通学可能な博多駅校で入学手続きを済ませ、四月から自習に通い始めた一週間後、奇跡的に寮に空きが出たという知らせを小倉駅校より頂き、その週末に入寮しました。
親子共に覚悟を固める時間の余裕もなく、不安なスタートとなりましたが、寮長さん、寮母さん、そして新しい寮の仲間に囲まれて娘は大きく成長しました。
 学習に取り組む態度、日々の生活態度、全てが変わりました。娘もこれまでのように周りに反抗して自己流でやっていては、前回と同じ結果になると気付き、積極的に北予備の講師の方々、チューターさん、先輩の方々のアドバイスを取り入れ、中身の濃い北予備生活を送ってきました。
 結果的にAO入試で第一志望校の合格をつかみ、十月末で浪人生活に終止符を打つことになりました。医学部志望でも、難関国公立志望でもない娘を、自宅から遠く離れた寮に入れて浪人させたことは、娘の人生にとってとても大きな体験となり、この体験が、これからの娘の長い人生の支えになると思います。
 AO入学に当たり、ご指導下さいました先生方、職員の皆様方に、心より感謝致します。本当にありがとうございました。
 
津田塾大学(学芸―情報科)AO合格 A・Nさん(福岡・筑紫女学園高校卒)のお母さん
 
人間的に成長した北予備生活は将来、医師として必ず役立つ
 三月七日の朝、職場にいた私の携帯電話のベルが鳴った。出るとめったにかけてこない息子の声。「父さん長崎大医学部とおったよ」。私はただ「よかったね」と返すだけで他にことばが出ませんでした。この電話を三年間ずっと信じながら待っていました。息子にとって、この三年間はどんなにつらく苦しかったことでしょう。今年は直前に福大医学部にも合格し医師への道を歩き始めていましたが、今回最終目標を達成したとの報告に目頭が熱くなりました。
 これまで北予備の寮から自宅に帰ってきたときや北予備の父母会で会う息子は、ほんの少しですが人間的に成長してきたように感じられました。高校三年間はラグビーばかりの生活で、浪人してから本格的に医学部を目指しているくらいでしたから、どこまでがんばれるかなと正直いって心配していましたが、今年は本当によくやったと思っています。この経験が人間的な成長に結びつき、将来医師となり病に苦しむ人に接したときに、必ず役立つものと思っています。
 長くなってしまった受験生生活を同じ寮で過ごす事は楽な面もありますが、後輩が入ってくるたびに焦りが募り辛い事も少なくなかったと思います。この辛い時期を乗り越え目標を持ち続けられたのは、同じ努力を続ける仲間、心身ともに支えてくださった田布施寮長、諦めることなく御指導いただいた先生方によるものと心から感謝いたします。
 懐かしい場所となった北予備をいまだ未熟な息子が訪ねて行くと思いますが、今後とも御指導の程よろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。
 
長崎大学(医―医)合格 H・S君(福岡・西南学院高校卒)のお父さん
 
 
『北予備の友だちは、一生の友だち』と職場の後輩
 一年間、チューターをはじめ北予備スタッフの皆様、蛍雪寮の寮母・寮長には大変お世話になりました。チューターの先生におかれましては、進学に関する親の不安に真摯に相談にのって頂き、寮母・寮長におかれましては子どものメンタル面のケアまでして頂き、ありがとうございました。
 「皆で一丸となり、勝ちを取りに行く」。その様な理念を、自主性が重んじられる大学受験、いわゆる競争原理の中に取り入れていく事に、正直はじめは驚きを感じました。しかし、その理念を目の当たりにするうちに、人と人のつながりが希薄化していく社会に立ち向かうかのように、同じ目標に向かう個の力を集結させることが、個の力と組織を発展させていくシナリオと知り、改めて驚きを感じました。個の技能、経験が注目される現代社会の中で、組織化されたチーム力が北予備の象徴のように思います。
 娘を北予備に預けることに躊躇はしませんでした。正確に言うならば、たいした予備校リサーチもせず北予備に入校させました。なぜならば、北予備出身の仕事場の後輩の一言、
「北予備の友だちは、一生の友だち」。親を安心させてくれる言葉でした。これが勝者だけが語る言葉でなく、北予備を体験した人も同じ事を語っておられました。苦労を共にした者にしかわからない友情だろうと思います。
 最後に改めて、北予備スタッフの皆様に感謝を申し上げます。北予備スタッフが、これから社会を担っていく若者達の教育に携わっている事に誇りを持ち、若者達と目標に向かって歩んで行かれることを嬉しく思います。
 ありがとうございました。
 
大分大学(医―医)合格 K・Nさん(福岡・西南学院高校卒)のお父さん
 
 
兄妹二人の人生を切り開いてくれた北予備に感謝
 十二月十七日、朝から末娘の九大教育学部のAO試験結果を、会社で仕事をしながら待っていました。しかし、待てど暮らせど連絡は来ません。これはダメだったなと思い、どうやって娘をセンターと前期試験へ向けて励まそうかと考えていました。夕方になってやっと携帯にメール、ひょっとしてと開けてみたら、娘から「九大、受かった!」と一行。それを見た瞬間、力が抜けるようで直ぐに「おめでとう!」と返信。この時は、娘の合格の感激とこれで受験から解放されるという思いが交錯しました。
 娘は、高校時代は部活(弓道)に熱中し、勉強も一生懸命やってはいましたが、私立に現役合格はしたものの第一志望の九大教育学部には届きませんでした。娘は九大に再チャレンジするといい、長男が二年間お世話になった北予備へ迷いなく進んでいきました。
 娘の北予備生活は、朝七時に家を出て帰りは毎晩十時半過ぎと、北予備漬けの毎日となりました。帰りが余りに遅く心配しましたが、そんな親の気持ち、どこ吹く風で北予備に没頭していました。九大教育学部のAO受験は夏頃から考えたのだと思います。AOは難しいとの先入観がありましたが、浪人生はチャンスへのチャレンジが大事と思い、娘に受験を勧めました。ただAOの準備に時間がとられ、センター、二次試験への影響を心配しました。しかし、北予備のAO対策のお陰で、幸運にも合格できました。この合格は、ひとえに北予備の先生方のご指導の賜物です。
 娘は、これから憧れの大学で、やりたい勉強をして、成長していってくれるでしょう。この彼女の人生の扉を開いてくれた北予備に感謝してもしきれません。兄妹二人、本当にお世話になりました。これからも「浪人生の人生を切り開く北予備」として、是非頑張っていただきたいと思います。
 
九州大学(教育)AO合格 S・Iさん(福岡・西南学院高校卒)のお父さん
 
大手予備校を何校か見学、息子が選んだのは北予備でした
 勝因は北予備。今そう思い感謝の気持ちで一杯です。
 『不合格』――息子からその一言だけのメールを受け取った一年前。併願校は合格していましたが、第一志望校に再度挑戦すると、きっぱり。その考えは良しと思うものの問題は彼の自己管理能力。毎日コツコツと膨大な勉強を自ら続けることができるのか?合格校に進む方が賢明ではないかと悩んだ末、息子の意志を尊重し、彼を信じ、応援することにしました。
 そこで最初の課題は予備校選び。新設校舎や行き届いた設備、カラフルで膨大な量のテキスト等を誇る大手予備校を何校か見学、説明を伺った後、息子が選んだのは自宅から通学に一番時間のかかる北九州予備校でした。私自身も、対応されたチューターのお話には他校にはない多くの感じるものがありました。
 そして始まった浪人生活。それまでマイナスイメージだった『浪人』という言葉も今ではプラスイメージに転じています。息子の話の端々から授業の楽しさが感じられましたし、自らが甘かった高校時代に比べ、確実に力を蓄えているように見えました。
 面談では毎回團野チューターの容赦ない切り込みに苦笑しながらも、的を射てあるだけに現実を受け取めることが出来、本人には奮起の材料になったことと思います。
 自宅では懸命に勉強しているようには見えず不安になることもありましたが、こうして合格通知を手にしている今、北予備の授業、カリキュラムが、絶対的に信じていれば間違いのないものだと痛感しています。彼が一年を通して一番頑張ったことは、欠席も遅刻もなく毎日余裕をもって通学することでしたから。
 『北予備を信じて』という言葉を信じて見守ってきた一年。この勝利に導いて下さった講師の先生方、團野チューター、そして校長先生はじめスタッフの方々に心より感謝申し上げます。
 
九州大学(法)合格 T・A君(福岡・西南学院高校卒)のお母さん