2013「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
このサイトに掲載の文章・イラスト・写真等の無断転載を禁じます。
 
フォーム
 
息子にはセンターの失敗を乗り越える2次力と精神力が備わっていた
 数学でマークミスをした。国語も地理も最悪。「一年間、僕は何をしていたんだろう」と電話の向こうで泣いている声。二浪の集大成のセンターは、この一年間とったことのない点数だった。最後のセンター模試では八二四点とっていた。今年こそという期待は一気にしぼんだ。後は私立にかけるしかない。次々三校受けたが全敗。三浪という言葉が頭をよぎった。
 でも、この一年、本当にこれ以上できないという程勉強した。寮に入ったおかげで規則正しい生活ができ、同じ境遇の七十六人の仲間達の存在が、毎日の勉強を持続させてくれた。内容の濃い授業、夜七時からの毎日をふり返ることのできる寮生日誌と四時間にわたる自習。携帯・テレビのない生活は、勉強に集中できる環境を作ってくれた。実力も人間力も確実に上がっている事を、定期的に見せてくれた寮生日誌で確信した。先生方や寮長さん寮母さんの指導・助言・励まし・おいしいバランスのとれた食事が最後まで、諦めない気力と体力を支えてくれた。国・公立はセンターで失敗した者にはとても厳しいが、産業医大は二次の配点が倍なので挽回が可能と息子は信じたらしい。
 産業医大受験日、「易しかったからセンター次第」という電話。ダメだと思った。二月二十日久留米補欠合格二十三番と連絡。この番号なら通るかも…夢のようだった。国立前期は腹痛で英語途中退出で失敗。三月一日産業医大二次合格、四百名に入った。後、小論と面接。センターの失敗をはねのけたかも…。
 三月十九日、合格八十五名に入っていた。試験の前日まで、英数理を繰り返し、最後まで頑張った息子。そしてセンターの失敗を乗り越えるだけの精神力と二次力が備わっていた息子。ここまで成長させてくださった北予備の先生方、寮長さん、寮母さん、仲間の皆さん全ての方々に、心から感謝申し上げます。本当に有難うございました。
 
産業医科大学(医―医)合格S・T君(鹿児島・志學館高等部卒)のお母さん
 
母として心掛けてきたのは浪人生の息子を特別扱いしない事でした
 昨年、浪人生活が決まってから、母として心掛けてきたことは、浪人生の息子を特別扱いしないということ、たった一つでした。
 息子が浪人生活を送ることに対し、家族が気を遣ったり、遠慮することで息子にプレッシャーを掛けることを避けたかったからです。
 中・高校時代と同様にお弁当箱は必ず自分で洗い、お弁当用のお米研ぎは兄弟三人で当番制。週末にはお風呂洗い、私が仕事で朝早い日は洗濯物干しなどの手伝いも続けていました。
 家族とおしゃべりしたり、テレビを見て笑い合う時間等も持ち続けました。
 この日常生活が息子の浪人生活に適したものであったかは分かりませんが、息子が頑張り抜く為に私達家族が出来る唯一のことだと信じ、続けてきました。
 今回の受験の直前まで、普段通りの生活を続けてきたことで、息子は良い緊張感を持ちながらも、平常心を失うことなく、受験に臨めたようでした。
 勿論、もっと息子に気を遣い、学習時間を増やせるようにした方がいいのかと、模試の結果を見ながら何度も考えましたが、宮崎大学医学部合格という結果を頂くことができて、日常生活の中にある大学受験と考え、それを貫き通してきたことを良かったと実感しています。
 この合格は息子の頑張りが一番大きいのは当然ですが、北九州予備校の講師・スタッフの方々、支え続けてくださった母校志學館の先生方、応援してくれたたくさんのお友達、団体戦を共に戦った北予備の同級生の皆様、息子の合格に関わってくださった全ての方々に心より感謝し、お礼を述べたいと思っています。
 今まで本当にありがとうございました。
 
宮崎大学(医―医)合格Y・Y君(鹿児島・志學館高等部卒)のお母さん
 
三者面談でチューターからいつも的確なアドバイスを頂いた
 振り返ってみると、あっと言う間の一年間だったように思います。
 受験した大学の合格発表の日。まさかの結果に愕然とするとともに、これからどうしようかと考えていたのは親だけで、「来年頑張るから浪人させて欲しい。予備校は北予備にしたい」と、本人は既に次に向けての準備を進めていました。一休みする間もなく、早速、朝早くには家を出て北予備に行き、夜遅くに帰ってくる生活がスタートしました。そんな我が子を、親は、ただ見守ることしかできませんでしたが、いやがる様子もなく、休みたいと言うこともなく、目標に向かって毎日努力している姿は、夏が過ぎても変わらず、秋を過ぎ、年が変わっても変わることはありませんでした。
 合格発表の日、受験番号を見た瞬間、この一年間重いカバンを持って毎朝出かけて行く時の姿が思い浮かび、本当にホッとしました。
 受験校の決定に当たって悩んだこともありましたが、合格への第一歩は、『途中で挫折することなく、目標に向かって一年間頑張り続けられたことに尽きる』のではないかと思います。これらは決して本人だけで達成できたものではなく、熱心に指導してくださる北予備の先生方、目標に向かって共に努力する予備校の仲間達の支え、励ましがあったからこそ達成できたものだと思います。
 また、北予備と出身高校との連携、見直しDVDの活用、早朝・夜間・休日等も自由に使える自習室等、とても恵まれた環境の中で学習ができたことは、頑張り続けることの大きな支えになったと思います。
 毎月の予備校通信で情報提供や、三者面談にチューターから毎回的確なアドバイスを頂いたこと、相談に対する親身な対応など、親子ともに感謝に絶えません。
 本人の希望を最優先にただ見守ることしかできませんでしたが、「努力は実る」を実感できた一年でした。
 
一橋大学(社会)合格M・H君(鹿児島・鶴丸高校卒)のお父さん
 
娘はセンター前に2ヵ月の入院、私が毎日北予備へ添削を届けた
 昨年の春、後期の合格発表を親子でパソコンの画面で見て、残念な結果の中、その日のうちに北予備へと手続きに向かいました。私達の時代は…というと、偏見になるかもしれませんが、親として今娘にできることは、振り返って後悔させることではなく、前を向かせ、まだ道はあるんだということを教えることだと考えたからです。
 北予備には、「入学式」があります。初めて聞いた時は、親も少し驚きましたが、子供たちにも、「スタート」という意識を持たす意味でも、この式典には大きな意味があったと感謝しております。
 「きっと、のびしろはまだある。来年こそは満開の桜を見れる」と、気持ちを前向きに持つことができました。とはいっても、一年間の中では、模試の判定に、目標を変更した方がいいのではないかと夫婦で話した日も少なくありません。ただ、どんなに不安になっても、娘にだけは、その気持ちを悟られないよう、前向きで過ごせるよう、家庭の空気を持ち続けることを夫婦で、お互い言い続けてきました。北予備に通う中で、幼い頃から親のそばばかりいた娘が自分で考え、親に相談もなく決心していく姿は、この十九年間の中で一番自立し成長を感じることができ、とても嬉しいことでした。
 娘は、昨年の冬、センター試験を前に、二ヵ月の入院という大きな壁にぶつかりました。でも、病院のベッドの上で娘の口からでた言葉は、「添削を私の代わりに届けてほしい」でした。担任のチューターの方はもちろん、北予備の先生方がとても真剣に向きあってくださり、私が毎日北予備へ添削を届けに通う形を快く受けてくださったこと、本当に感謝しています。
 他の生徒さんの姿や、校内に掲示されたポスターの言葉に私も励まされました。必ず、合格する。あきらめない気持ちを持たせ続けさせて下さった事に感謝します。
 
鹿児島大学(医―医)合格H・Aさん(鹿児島・鶴丸高校卒)のお母さん
 
「昨年落ちて良かったですね」。合格発表の夜、恩師の言葉
 「昨年落ちて良かったですね」。合格発表の夜、電話で話した高校時代の恩師の言葉です。
 落ちてよかった?って言葉を疑うかもしれないですが、本当に笑って言えたこの会話こそ、北予備にあずけたからこそ出た言葉なのです。
 昨年の今頃、前期試験に向けてラストスパートの時期でした。センター試験で第一志望校でA判定。余裕をもって臨んだ試験がまさかの不合格。携帯のサイトで確認した息子が一時間程固まって動かない姿を今でも鮮明に覚えています(この時は医学科ではなく、保健学科でした)。
 後期の受験前に息子は浪人の道を選択しました。県内の北予備と某校の資料を取り寄せ検討。当時恥ずかしながら北予備の知識のない私は某校にほぼ決めていました。最後の決断は、高校の恩師と息子によるものでした。
 そして迎えた入学式。会場の熱気がひしひしと伝わってきます。校長先生の話に事務長の説明。受験成功者達の体験発表。本当に北予備なら大丈夫かもと思えた瞬間でした。
 保護者説明会でも、親としての役割や接し方等も学び、本当に勉強になりました。
 途中不安になった事も少しはありましたが、北予備と息子を信じ続けた結果、入学時に定めた希望大学、希望学部に合格することができました。あの時、某校にあずけていたなら、同じ結果が出ただろうか…?いや、絶対に北予備だったから夢が叶ったんだと思います。
 一年前には、将来医者になるとは全く考えもしなかった事実。北予備にあずけたおかげで息子の人生が変わりました。
 本当に有難うございました。
 「北予備最高!」努力は実るは真実でした。
 
宮崎大学(医―医)推薦合格A・I君(宮崎・都城西高校卒)のお父さん