2013「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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1年前、人づての評判だけでまだ見たこともない北予備を訪ねた
 一年というのは、本当に速いものです。昨日は、志望校に合格した息子を迎えに、「ひのくに寮」まで家族で出かけました。途中、人吉市のあたりで、梅の花が満開に咲き誇り、春が来たことを私たちと一緒に喜んでくれているかのように感じました。
 でも、一年前に見た梅の花は違った色に見えていました。前期の発表があり、全く志望校に届かないことが分かった私たち家族は、余裕なく梅の花の前を横切り、熊本市内を目指していました。まだ見たこともない北予備を、人づての評判だけで訪ねていたのです。その時は、この梅の花を「もうすぐ春が来るというのに……」とだけの目でしか、見ることができませんでした。
 北予備事務室前の机の前で、予備校や寮の説明をしていただいたチューターさんが「きっと来年は、前期で○○大学、私立は□□大学、滑り止めは△△大学にして、後期は今年落ちた◇◇大学というところでしょうか」という話をされました。私は息子のその時点での学力を誰よりもよく知っていましたので、「そこまでは…」と口ごもりました。不合格だった大学に合格してくれれば十分と思ったからでした。
 競争の少ない小さな町に育ち、夏に澄み切った清流の中で泳ぐのが一番の楽しみだった息子は、これまで本気で受験勉強らしい努力をしたことは、全くなかったのです。そして、私たち親も、そんな無邪気な息子を、ほほえましくさえ見ていたところがありました。しかし、現実は厳しいものでした。
 北予備に通い、ひのくに寮で生活するようになり、息子は変わりました。私たち家族に「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、寸暇を惜しんで勉強するようになったのです。そして、実際チューターさんの言われたとおりの結果になりました。やがて、梅が桜に代わり、大学に通うようになって、努力の大切さを覚えた息子のこれからが楽しみです。
 
立命館大学(法―法)合格D・Y君(宮崎・小林高校卒)のお母さん
 
センターでは不得意の英語で92%得点。「奇跡が起こった」と娘
 昨年センター試験の自己採点結果を聞いた時に、私は不合格を直感しました。そこで、前期試験前に入寮を確保しました。「予備校は苦しいので周りと一緒に共同作業をしないと続かない」と考えたからです。寮のことは何も知らなかったのですが、蛍雪寮に入寮できたことが今年の合格に繋がったのだと、確信しています。
 子供は「寮長はとても厳しい」と言っていますが、親からみれば、目指す大学に合格させるためには厳しくて当たり前です。寮長さんも寮母さんも辛いのに、敢えて厳しくしなければいけない。そして、この寮のあり方が合格に繋がり、親も安心できるのです。
 合格して帰ってきた子供と話していると「私は何故成績が上がったか分からない」と不思議なことを言います。それは、①規則正しい寮生活②寮生全員で合格を目指す共同作業③予習・授業・復習三回の北予備方式④DVDによる復習等を自然に受け入れて、違和感なく実践できたからでしょう。また、センター試験では、不得意だった英語で九二%得点でき、本人をして
 「奇跡が起こった」と言わせた受験テクニック指導等、北予備に行かなかったら今年の合格は無かったと思います。
 センター試験中にも北予備から「今年は平均点が低い」というメールが届き、そのお陰で子供から「目標に一点足りなかった」と電話があっても、落ちついて話をすることができました。
 今は、北予備での生活を作り上げ、支えてくださいました渡部チューターと寮長・寮母さんほか皆様への感謝の気持ちで一杯です。
 本当にありがとうございました。
 
宮崎大学(医―医)合格S・Oさん(宮崎・宮崎第一高校卒)のお父さん
 
「お父さん、この1年勝負したいから北予備に行かせて下さい」
 去年のセンター試験後、思う様に点数が取れなかった娘は迷う事なく北九州予備校小倉駅校、寮は若葉寮に入る!!と決めていました。(高校の先輩の勧めもあったようです)。奄美を出て宮崎の高校を決め、三年間それなりの成績も出していたので私達は勉強はしていると思っていました。が、世の中はそんなに甘い物ではなく結果は当然です。それは本人が一番分かっていたでしょう。
 五人姉弟という事で金銭面の事でも気を遣いながら「お父さん、この一年勝負したいから北予備に行かせて下さい」といつも明るさだけが取り柄の娘が、真剣な力強い声で言ってきたので、私達は娘を信じ、北予備を信じ、そして一年後の「合格」を夢見て娘を預ける事を決心しました。
 入寮以来ほとんど連絡がなく、どのような生活を送っているのか心配な日は続きましたが、北予備から毎月届く「栄光への道しるべ」(行事予定、合格した先輩からのアドバイス、寮生日誌、保護者の宿泊体験記)は、とても楽しみにしていました。親、妹弟を気遣って、「大丈夫だから」と言う娘を信じて、三者面談、宿泊体験も参加してない私は、この道しるべを娘の生活の様子を想像しながら読むのが、月一回の楽しみでした。また毎月の献立表、寮の生活状況、さらに娘の写真入りと、親を不安にさせない様にと心遣いがとても有難かったです。
 お陰様で念願叶い、娘は長崎大学医学部医学科の合格を手にする事が出来ました。北予備で過ごしたこの一年がなければ、絶対あり得なかった事だと思います。
 最後になりましたが、娘を支え励まして下さったチューターをはじめ北予備職員の皆様、若葉寮の寮長夫妻、共に一年間を過ごした小倉駅校生、本当に有難うございました。
 
長崎大学(医―医)合格T・Tさん(宮崎・鵬翔高校卒)のお母さん
 
「立派な医師」になってね。「不合格体験記」に書いた通りに
 昨年、現役の頃、医学部を受験した時は、本人も私達親もおよそ受験とはかけ離れた生活だったと思います。高校を進学校に選んだのは薬剤師を目指す為でした。高二の夏、突然「医者になりたい」と言い出した時は、本人の意志にただ同意するだけで、医学部を希望し実現するにはあまりにも簡単に考えていました。高校担任と面談した時には正直「合格したら儲けもの」と思いました。当然結果は不合格、当初の目標の薬学部は合格しましたが、もはや薬学には興味がありませんでした。「一年、お金と時間を使わせて下さい」と話があった時、親として、息子の「やりたい」を応援する以外答えはなく、予備校に行くなら「北予備」と入学する運びとなりました。
 先輩から多くのアドバイスを頂き、医学部を目指すなら小倉駅校の大志寮にと強く勧められ、幸いにも希望通り、浪人生としての準備が整いました。当初は本当に大丈夫だろうかと本人よりも不安な時もありましたが、まもなく届いた、タイムカード、チューターや寮長からの連絡を読んで、様子を知る事が出来、不安は解消されました。夏のリフレッシュ期間に帰省した息子を見た時、変わらず元気で、北予備での様子を話す顔を見て安心しました。
 センター試験が終わり息子の落ちこんだ声を聞いた時は「厳しいかな…」と落胆しましたが、受験は始まったばかり。親の私がこんなでは受かるものも受からない!!と、咄嗟に気持ちを切り替えました。励ましの声を掛けた時、「俺あきらめてないよ。まだ逆転できる。最後まで頑張る。やる!!」と言われ、息子の成長と、強い意志を感じました。
 今回この合格は本人の頑張りは勿論、北予備の先生方、寮長をはじめお世話いただいた方々、回りの先輩方、同志達、そして家族の協力で勝ち取ったと思っています。念願叶った事をかみしめながら「立派な医師」になってね。「不合格体験記」に書いた通りに。
 
長崎大学(医―医)合格S・F君(宮崎・鵬翔高校卒)のお母さん
 
学力のみならず社会性・人間性まで育ててくれた宮崎校に感謝!
 早朝七時には登校。帰りは二十二時。北予備が開いてない日以外は、土日も含め毎日この生活を続けました。
 年度始めの保護者会で「家では受験の話はせずゆっくり休ませて下さい。勉強は北予備でしっかり指導します」。親としてこれ以上ほっとする言葉はありません。とにかく北予備に行ってくれている間は安心ですから。
 これからの一年、息子を気遣って、テレビ・パソコン禁止。家族中で受験体制に協力しようと気合いを入れていただけに、肩すかしを食った感もありました。
 おかげで、二十二時に息子が帰宅しても、普通にバラエティ番組は見るし、息子の希望の番組は録画して見せたり、家族は普通の生活を送りました。
 思い起こせば一年前、高校三年間、ラグビー一筋、十一月の花園予選まで部活に集中したため、センター対策もそこそこに一月を迎えたような……。その後の三者面談で、受験校を決めることより、一浪をどこでどう過ごすかの話が中心で、「今まで勉強時間が少なかったわけだから、人一倍勉強の時間をとる必要がある」との先生の助言で、「それなら北予備にあずけよう!」と決めました。
 やはり、本人のやる気もそうですが、学習環境が良かったから今回の合格につながったと思っています。
 また、北予備入校後も、厳しくも個性豊かな先生方に触れたり、チューターの皆さんの熱心さに親子で触れるうちに、息子自身も、より社会に向ける目が培われ、本当の意味で人間的に少しずつ成長できている気がします。学力のみならず、社会性、人間性まで育てていただいた北予備宮崎校に本当に親子共々、感謝の気持ちでいっぱいです。一年間お世話になりました。
本当にありがとうございます。
 
宮崎大学(教育文化―社会システム)合格K・S君(宮崎・宮崎北高校卒)のお父さん