2013「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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「何という幸運!今年宮崎校が開設されるなんて」
 息子と二人で大学に提出する書類に記入しながら、昨年の今頃は一年後にこんな光景があろうとは思いもしなかったね、と語り合いました。昨年、センターで思うように点が取れず、しかし第一志望の大学でないと受けないという息子を前にして、「浪人か」と考えていた母でした。「県外の予備校は経済的に無理だしなあ」と思い悩んでいたとき、北予備宮崎校開設の話が、飛び込んできました。「何という幸運!今年開設されるなんて」。息子はそういうところで運を持っているのでしょう。すぐに北予備に入ることを決めました。
 息子は、受験の最後の発表を受け取る前から北予備に通い始めました。三月十九日でした。その日から息子の朝八時前に家を出て、夜十時に帰ってくる生活が始まりました。一年間休むことなく続けられました。北予備から届く出席表はいつも?。親としてはこんなに安心なことはありません。北予備でしっかり勉強し、帰ってからは食事や風呂を済ませ十二時に寝る。母の仕事は弁当を作ることと健康管理に気をつけることだけでした。それなのに私は、センター試験の一週間前にインフルエンザに罹ってしまいました。部屋に籠もりましたが結局息子にうつし、彼は試験後の自己採点の日に、三十九度の熱を出しダウンしたのでした。しかし、彼は自己最高点を取りました。これも北予備の日頃からの徹底したご指導のおかげです。
 前もって宮崎大学医学部の推薦一次に合格していましたので、センターに全てを懸けていました。そこでの自己ベストです。結果、おかげ様で合格することができました。一浪では無理かと思ってましたので喜びもひとしおでした。校長先生自らの面接指導や、先生方による徹底した過去問対策、チューターのご指導、挙げればきりがありません。本当に北予備に来てよかった!家族一同そう思っています。
 
宮崎大学(医―医)推薦合格Y・S君(宮崎・宮崎西高校卒)のお母さん
 
「医学部だったら絶対に北予備がいい」と高校の担任の先生
 息子が、医学部をあきらめたくないので浪人をすると言った時、迷わず北予備を勧めました。高校の担任の先生の、医学部だったら絶対に北予備がいいと言う言葉と、より厳しい環境の中の方が合格を勝ち取れるのではないかという考えからでした。
 最初は、親元を離れて一人で生活していけるのだろうかとかなり不安でした。しかし、親の心配をよそに息子からかかってくる電話はいつも元気で、大学合格という同じ目的を持った仲間との寮生活で充実した毎日を過ごしているようでした。
 私どもも毎月送られてくる北予備からの資料で息子の生活を知ることができ、とても安心でした。
 また、保護者の寮宿泊では実際の寮生活を垣間見て、子供たちの一心不乱に勉強する姿に感心するとともに、支えてくださっている職員の皆様に深い感謝の気持ちを抱きました。
 それともう一つとても感謝しております事は、出身高校と連絡を取り続けてくださっている事です。おかげで、恩師の先生方がいつも気にかけてくださり、センター試験前には高校三年生時の同級生に呼びかけ、寄せ書きの色紙を作って送ってくださいました。息子はそれを寮の部屋に置き、たくさんの応援の言葉にかなり力を得たと申しておりました。
 浪人生活で医学部合格とともに、徹底的に努力するとはどういう事かということを息子は学ばせていただいたと思います。
 お世話になりましたすべての職員の皆様に心から感謝いたしております。ありがとうございました。
 
熊本大学(医―医)合格S・S君(宮崎・宮崎西高校卒)のお父さん
 
地元に北予備ができたことは幸運でした
  「春に」
 この春、長男の航が、防衛医科大学校医学科に進むことを決めました。
 「日本の最高学府で学び、科学の発展に貢献したい」と、浪人を決断させた彼の夢は、一年間の北九州予備校生活の間に、「国のため、人のために働きたい」と、より具体的なかたちに変化していたようです。
 周りは、特殊な環境であることを心配しましたが、彼の心は、真っ直ぐ将来を見ているようでした。子供だと思っていた彼の中にも、いつしか強い決意が育まれていたようです。親としては、彼のこの『新しい夢』の実現をただ祈るだけ―そんな春になりました。
 「おめでとう」の言葉のない来賓挨拶に、なるほど予備校の入学式とはこういうものかと思った昨春。現役時代に到達できなかった二次試験の克服に懸命に取り組んだ夏の日々、模試の結果に一喜一憂しながらも粘り抜いたセンター対策仕上げの秋―そして歓喜の春。
 『光陰矢のごとし』とは、諺として傑作の一つだそうですが、当人にとっては重圧との戦いに暮れた長い一年だったことでしょう。しかし、ひたむきに我と向かい合ったこれらの貴重な日々が、彼の夢を『新たな夢』へと昇華させたのかもしれません。
 地元での浪人を決めた昨春、北予備宮崎校が開校したことは幸運でした。完成されたカリキュラムと一流の講義は、知らず知らずの間に学力の基礎を培いましたし、なによりその高い実績と信頼感は、二度目の受験生となった者の緊張感や不安を和らげてくれました。
 優れた勉学の環境を得て、これを生かし決して諦めず、新たな夢をつかむことが出来たこの春は、彼のこれからの人生に計り知れない意味を持つことでしょう。
 この一年、温かな眼差しで子供に寄り添い、適時適切なアドバイスを頂いたこと、心より感謝いたします。ありがとうございました。
 
防衛医科大学校(医―医)合格K・T君(宮崎・宮崎西高校卒)のお父さん
 
「初めて文章問題の読み方が分かった!」と娘が目を輝かせた
 県外の国際文化の勉強ができる大学に進学することを目標にがんばっていた娘は、センター試験に失敗し、県外の私大受験に急きょ変更。しかしこれもすべて失敗。県内の国立大に合格したものの、やはり自分の希望する大学へ行きたいということで、浪人することになりました。
 北九州予備校を選んだのは、主人が宮崎に進出してくることを知り、娘に強く勧めたのです。県外の大学へ行きたいのなら、受験のスキルや情報を多く持っている北予備に行くべきだと。同じ高校の友人も北予備へ行く事を決めていて、主人の言葉と友人の影響で北予備へ行くことに決めました。
 娘は国語が苦手で、センター試験もうまくいきませんでした。北予備が始まってから、娘が「国語の文章問題の読み方が初めてわかった!」と目を輝かせながら言ったのです。国語ばかりではなく、その他の教科もいろんなことを講師の先生方にたくさん教えて頂き、楽しくかつ有意義に勉強していました。
 そんな娘の姿を見て、北予備に行かせてよかったとつくづく思います。また、志を同じくする生徒が集まって、勉強する環境としては素晴らしいものだと思います。
 北予備の講師の先生方やチューターのお陰で、この一年娘はがんばれたと思います。
 本人も最後まで「努力は実る」という北予備のスローガンを胸に受験に挑み、なんと挑戦校に合格することができました。
 親は子どもを励ましサポートすることしかできませんが、北予備の熱い姿勢が伝わり、私たちも頑張ることができました。
 親子ともども、ありがとうございました。
 
青山学院大学(文―英文)合格K・Iさん(宮崎・宮崎西高校卒)のお母さん
 
北予備宮崎校開校の朗報。「伸びますよ」と励まされ入学
 「日本史九四点」、「実力を発揮できたな」。「英語一八五点」、「えっ、本当か。そんなに取れたのか。国語は?」。「…やばい。○○点」、「国語は百点満点だったっけ?」。センター試験後の親子の会話である。一年前と比べ大きく力をつけたものだとの驚きや喜びと、本番の怖さを痛感させられる受験の幕開けであった。
 思い起こせば中学時代、野球に明け暮れる毎日で、高校へは野球学校への進学も考えた。自宅で机に向かうことはなく、気を揉んだが、何とか進学校にすべりこみ、大学受験と向き合うこととなった。
 思ったとおり、高校生になっても野球のみを愛する男が家で勉強するはずもなく、あえなく浪人。そんな中、北予備宮崎校開校の朗報が舞込む。「成績が低くても受け入れてもらえるだろうか」そんな不安を払拭するように、「伸びますよ」と入学許可をいただいた。
 北予備に通うようになり、講師の先生方の授業に魅せられ、「勉強することのおもしろさ、大切さ」を体得する。四月からの努力は、十二月頃になって急に良い結果として表れるようになった。
 受験本番では、すべてが好結果だった訳ではなかったが、私が一番喜んでいるのは子どもの人間的な成長である。この一年間、受験勉強を重ねる中で、政治や経済にも関心を示すようになり、人や物事への心からの感謝ができるようになった。本物の「自ら学ぶ力」を身につけたと感ずる。大学入学がすべてではない。大学で何をどれだけ学ぶか、そして、そのことがどれだけその後の人生を豊かにするかが大切だと思っている。
 毎日、早朝の声掛けに始まり、夜遅くの帰宅時にも激励をいただいた黒木校長をはじめ、チューターの先生、そして講師の方々、さらに、良い刺激をくれて支え合ってきた多くの優秀な仲間たちに感謝、感謝である。
 
立命館大学(産業社会―現代社会)合格R・F君(宮崎・宮崎西高校卒)のお父さん