北予備生が明かすマル秘不合格体験!

北予備生が明かすマル秘不合格体験!
 
北予備では1学期が始まってからすぐに、生徒全員に『不合格体験記』を書いてもらう。それは、この春の悔しさを忘れず、これからの1年の決意を新たにするための反省文だ。
その体験記の中で最も多く書かれる不合格の原因が、ズバリ「勉強時間の不足」。暇さえあればケータイでメールを打っていたとか、部活で忙しかったとか、自分の部屋でついついパソコンやゲームに耽っていたとか…。受験勉強は苦しいから、逃げ出したくなる。やらねばならない、でもやりたくない。だんだん勉強のとりかかりが遅くなり、結局寝不足になって授業中に居眠りしてしまう。
こうして生活のリズムがどんどん乱れ、気ばっかり焦るものの集中して取り組めない。君も必ず思い当たるフシがあるはず。受験生の誰にとっても、この生活リズムを守ることが最も難しい。
 

生活リズムの維持が受験生みんなの課題

生活リズムの維持が受験生みんなの課題
 
だからこそ、北予備は生活習慣に関して強く君たちをサポートする。特に朝を最重要視して、欠席や遅刻を見過ごさない。生活リズムを作り出すのが朝一番のあり方だからだ。開門と同時に予備校に登校して、予習を済ませてから授業を受ける。規則正しい生活こそが北予備生を一歩一歩、確実に志望校へと導いて行く。集中した勉強時間を増やそうと思ったら、毎日同じ生活リズムで、予習→授業→復習の基本サイクルを繰り返すこと。志望大への熱い思いはどうすれば叶えられるのかを、不合格体験記が教えてくれる。
 

~不合格体験記~

~不合格体験記~
 
 
メール、部活、文化祭・・・
言い訳のネタは尽きない
S・K君(掛川高校卒)
不合格大学/広島大学(医―医)
 
 広大の後期発表の瞬間、僕の浪人が決まりました。自分でも確実に受からないと思っていましたが、いざネットで受験番号を探し、自分の番号が無かった時は少なからずショックを受けました。僕の周りにはほとんど浪人する人がいなかったので、浪人という事に大きな不安を抱いていましたが、今北予備で浪人生活をしていると昨年の自分がいかに受験生らしくなかったかが分かりました。以下、自分の反省点をあげていこうと思います。
  まず、受験生としての最大の敵は「携帯」でした。僕は友達が多い方だったので、勉強中に横に携帯を置くとすぐにメールがくる、といった感じです。机について最初のうちは「勉強をしなきゃいけない」、そう思って片手でペンを動かしているのですが気づくとベッドにダイブインして両手でいじっている始末です。携帯をどこかに隠す、その案も考えましたが意志薄弱な僕には到底実行することは叶いませんでした。強制的に携帯を手放させられた今、受験に携帯は不必要だと強く思います。
 二つ目は、「逃げ道をつくっていた」ことです。夏前までサッカー部だった僕は、「引退したら頑張ろう」、引退してからは「文化祭が終わったら頑張ろう」、そう思って気づけば夏が終わっていました。夏が終わった時点で全ての教科の基礎は終わり、秋は応用や赤本というのがセオリーですが、僕は基礎がまったく定着していなくて、夏後からやっと真面目にやり出して結局やりきれませんでした。
 前の2つの原因は両方、「意志の弱さ」にあると思います。「自分は何になりたいか」「そのために何をいつまでにやればいいか」といった目標設定もできていませんでした。今年はそういった甘さを払拭するために北予備に入りました。もちろん北予備に頼りっきりで努力しなければ受かりませんが、強制力をうまく使い、「本物受験生」になろうと思います。今年は受かる!
(原文のまま)
 

 
 
生活リズムの大切さと意志の弱さ
K・K 君(修道高校卒)
不合格大学/慶應義塾大学(経済−経済)
慶應義塾大学(総合政策−総合政策)
上智大学(経済−経営)
青山学院大学(総合文化政策−総合文化政策)
 
 僕は、去年、広島にある大手予備校に通っていました。僕の志望校は、慶應義塾大学ということもあり、早慶クラスというクラスに所属していました。4月開講で、なかなか良いスタートを切る事ができたんですが、5 月あたりから夏まで、自分の服や食費といった、自分の生活費をかせぐ目的で、居酒屋でバイトをする事にしました。居酒屋でのバイトは、授業が終わってから夜の0時頃まで、遅い時は、深夜2時ぐらいまで働いていました。そこから生活リズムが崩れ、とても受験生とは思えない生活でした。その予備校には、クラス担当のチューターはいましたが、自分の生活指導はしてくれませんでしたし、授業に出なかった日もありましたが、面談がある8月、9月ぐらいまで、何も言われませんでした。つまり、基礎力の養成の時期に、ほとんど授業
で得たものはなく、得たのはお金と最低限やろうと決めていた単語と熟語の力ぐらいでした。
 いざ秋になり、赤本に手をつけても、基礎力(特に、英語と国語)がないのでほとんど歯が立たず、相変わらず実力も伴っていないのに、目標だけは高かったのです。もちろん、志望校である慶應に受かりませんでした。今ふり返ると、無謀すぎたと言わざるを得ません。
その予備校では、出席についてほとんど厳しくないので、出席カードに通すだけ、通して授業に出席していないのに出席した事にするような人が、僕を含めて多くいました。そこで、なんとか自分をセーブして出席すれば良かったのですが、弱い自分を変える事ができませんでした。だから、今度こそは北予備で、全ての授業に出席して、予習→授業→復習のサイクルを受験のある2 月までがんばっていきます。そして、必ず慶應または上智に合格したいと思います。この気持ちを2月まで
忘れず、がんばります。だって、合格のための環境は全て整っているのですから。
(原文のまま)
 

 
 
「どうしてもそこに行きたい」
この気持ちを忘れていた
M・M さ ん ( 山口高校卒)
不合格大学/京都大学(教育)
 
  不合格した理由で思いあたる事が3 つある。
 第一に、志望校決定が遅すぎた。志望校を決めたのは夏休み直前で、特に数学は過去問に取り組めるようになったのが本当に遅い時期だった。色々な事に取り組んで、思い切り充実した高校生活を送ったので後悔は無いが、もっと進学の事を早くから真剣に考えるべきだった。どこかで甘く見てしまっていた。
 第二に、試験当日体調をベストに持ってこられなかった。実力の半分も出せていなかったかもしれない。本当に悔しい。体調管理に気をつけ、たとえ体調を崩しても受かる位の力を今年はつける。
 第三に —これは一番の後悔なのだが— 気持ちで競り負けた事である。私は将来の夢が決まっておらず、学部への興味や憧れは強かったのだが、同じ大学の他学部の方の配点が自分に有利で難易度も低いという理由で学部を変えて受験してしまった。それは入学後も転学部が可能という話を聞いたためと、憧れの大学に何とかして入りたいという思いのためであったが、第1 志望を貫き通した人の思いには負けていたと思う。
 大学の紹介冊子を読んだ時、その校風、環境、設備にひかれて、ここだ!と思った瞬間。何がしたいか分からなかった時に、第1 志望となったその学部を知って、胸おどった瞬間。それを忘れて、ただ勉強をしているだけの時期もあった。親も先生も友達も、皆応援してくれていたのに「気持ちで競りで負けた」なんて書く事がとても情けなく、悔しい。
 落ちてからまた大学の冊子を読んだ。どうしてもここに行きたい、と涙が出た。
 今回こそ、自分の限界まで本当に頑張りきる事を誓う。浪人なんて贅沢をして、親には本当に申しわけなさと感謝でいっぱいだ。この1年間を、私のこれからの人生にとって2 倍も3 倍もプラスになる1年に絶対してみせる。そして来春、京大総合人間学部に絶対合格してみせる。
(原文のまま)
 

 
 
 
行きたい所から行ける所へ、
これが失敗の主因
A・H さん( 戸畑高校卒)
不合格大学/玉川大学(リベラルアーツ−リベラルアーツ)
日本大学(文理−教育)(文理−体育)
立正大学(心理−臨床心理)
 
 私は今年受験した大学に全て不合格、全滅だった。私の場合「どして落ちたのか?」と疑問を抱く事はなかった。なぜならば…全くと言っても過言でない程、勉強していなかったからだ。とにかく最後の最後まで「受験生」という意識がなかった。
 私は、文武両道を目指している戸畑高校を卒業したが、今思えば、見事に「武」だけを満喫していた。部活動・学校行事に対していつも意欲的に「もっと楽しむためには」などと自分なりに考え、最高の思い出にしていった。一方「文」の方はキツイという理由により、後回しで「いかに楽できるか」とサボる事を前提に勉強していた。
 私が“ 形だけの” 受験勉強をし出したのは高3の秋。3年が中心となる学校行事も終わり、周りの友達の目の色も変わってきた。私も、その雰囲気に合わせて努力しようとしたが、その時の成績は偏差値でいうと40 台前半。センターまであと3ヵ月。焦りでいっぱいだった。その焦りから「国公立は無理」と勝手に決めつけ、私大の(しかも)偏差値で50 前後、行きたい所ではなく行ける所を探す日々…。とにかく偏差値50 には追いつきたいと思い、勉強したが、机の上には携帯、お菓子、CDプレーヤーいろいろあった中での勉強。もちろん休憩時間は3時間。一度、校外模試でその時の志望校にAランクがついた。嬉しかったが、そのAランクという表示が私にとって落とし穴だった。「これだけの努力でAが出る…」。そして、そのまま受験生らしくない受験勉強をして、受験をした。結果は全滅。
 当たり前の事だ。今、思えば、私はあの勉強だけでよく今年、受験しようとしたものだ。受かるわけがない。もし万が一、合格していれば、私は一生「必死で努力」することなく人生が決められていたかもしれない。恐ろしい事だ。まずは、何事にも努力して継続させるという目標に向かって頑張っていきたい。
(原文のまま)
 

 
 
 
浪人の夏にすっかり大学生へと変身していた
S・H 君 (明治学園高校卒)
不合格大学/熊本大学(薬−薬)
徳島大学(薬−薬)
 
 昨年、僕が合格できなかった理由は、あきらかに「甘え」のせいである。僕は今年で2 浪目で、昨年は違う予備校に行っていたのだが、今考えると、その時点で僕は甘えていた。なぜなら、その予備校に行くことを決めた理由は、友達が行ってるから、校則がそんなに厳しくなさそうだから。そんな理由で、予備校を選んでしまい、本来の予備校に行く意味をまったく考えていなかった。
 その結果、春の時点までは、さすがに緊張感を保てていたが、だんだんとだれはじめた。まず、朝起きることでさえ十分にできなくなり、授業に遅れたり、出なくなったりすることが多くなっていった。そして、そのだれた状態で夏をむかえた。まだ春の時点では、夏に大学に行った友達と遊ぶようなことは、あったとしても数える程度のものだろうと思っていたのに、いざ夏をむかえると、毎日のように友達と遊んでいる自分がいた。
 夏も終わり、友達もみんな、いなくなったため、毎日の遊びはなくなった。そこで、そろそろ勉強モードに入ろうかと思っても、今まで勉強の習慣をつけていなかったため、うまく勉強することができない。そのせいで、あせってしまい、あれやこれやと手をつけたものの、やったことが消化不良でまったく頭にはいらないという悪循環を生みだしていた。
 ようやく、勉強がまとまりはじめたのは11 月の中旬。しかし、もう遅すぎた。センター試験でまず、自分に必要な点数がとれず、逆転にかけた2次試験も十分にできなかった。当然結果は不合格。
 改めて、昨年の自分をふり返ると、「甘え」の一言に尽きる。自分勝手に生活して、自分勝手に勉強。両親や友達、そして予備校にも甘えて、楽なほうへ流れようとしていた。だが、そんなことをして、受験に合格するほど、世の中は甘いものではない。
 今年は、その点を考えて受験にのぞんでいく。
(原文のまま)
 

 
 
 
浪人するならどこでも同じ?
T・I 君(田川高校卒)
不合格大学/島根大学(工−電子制御)
 
 僕は高校の頃は、ほとんど勉強せずに遊びほうけていた。当然成績も上がらず、志望校はE判定だった。おまけにセンターでマークミをしてしまい、完全に受かる自信が無くなってしまった。そして2対策をせずに大学を受験したためほとんど問題が解けずやはり落ちてしまった。不規則な生活をし、あまり勉強をしなかったので当然の結果だろう。今思えば浪人すれば大丈夫と簡単に考えていたのかもしれない。
 そして1浪目の時は、北予備と某大手予備校のどちらかを選ぶことになったが、厳しいとこはイヤだったので楽な方を選ぶことになった。この選択は完全な間違いだった。その大手校は勉強しないものは本当にしない。規則などが甘いので勉強する気が起きなかった。高校の頃自主的に勉強できない自分だったので当たり前だったのかもしれない。そしてやはり成績が伸びず、センターでも思うように点が取れなかった。だから志望校を下げて十分合格ランクの大学を受験したが2次対策が甘くやはり落ちてしまった。
 正直なところ、この時はかなりへこんだ。自分のやる気のなさ、甘さが招いた結果とはいえ、かなりつらかった。不合格の知らせを聞いた家族の顔はきっと一生忘れないだろう。ある大学に受かっていたが、マイナーな大学なので気は進まなかった。その気持ちを、親は見抜いたのだろうか。今度こそ死ぬ気で頑張るならもう一度浪人させてやると言われた。2浪もさせてくれる親に感謝し、こうしてまた浪人することになった。
 そして予備校選びになったが、親は有無を言わさず、俺を北予備の寮に放り込んだ。勉強する気がどうしても起きない俺にとっては、最良の選択かもしれない。事実、寮と北予備はとてもやる気が起きる環境だと思う。やはり勉強には環境が大切だと思う。ここで1年間頑張って来年こそは大学に合格したい。
(原文のまま)
 

 
 
 
親への感謝を忘れていた。
母の涙と笑顔が効いた
Y・O 君(福岡中央高校卒)
不合格大学/佐賀大学(理工−機械システム工)
 
 去年のセンター試験、全く勉強もせず根拠のない自信と、親からもらったお守りを持って試験会場へ向っていた。センター試験の開始時刻30 分前、まわりの受験生達は今まで必死で勉強してきた、黒ずんだ参考書を読み返していた。そして、ふと自分の手元を見てみると、全く勉強した跡のない真新しい参考書が手元にあるだけだった。そして試験が開始された。1時間目の地理、一番苦手な教科だった。問題を見ても答えの見当もつかない。そして1時限目が終わり、僕は呆然とした。後の結果は察しの通り、得意である理系科目でさえ悲惨な結果になってしまった。
 そして自己採点をしてみると思った通りの結果となり、何か入試自体どうでもよくなった。そして私大入試1週間前、僕は一人でふらふらと遊びに行くことが多くなった。だけど心の奥底で勉強しなくてはならないと思う反面、まわりの友達が一生懸命勉強している姿を見て妙に苛立つという複雑な気持だった。
 そして、私大入試当日を迎えた。心の中ではどうでもいいと思っていた試験。当然のことながら落ちた。家に帰って母親が泣いているのを見た。しかし、僕の前では何ごともなかったように振舞い、笑顔で「残念やったね。また来年頑張り。」と言ってくれ、そして仕事へ出掛けていった。僕はその時、涙が出た。僕が流した涙は、受験勉強をしなかったから、大学に落ちたためではない。自分が努力することを忘れてしまったこと。親への感謝の気持ちを忘れ、高校生活を棒に振ったこと。そして一番の理由は、こんな自分に対して、変らず接してくれた家族の温もりである。僕がこの北九州予備校に通うのは大学に合格をするのはもちろんだが、この長い1年必死で頑張りきる僕の姿を見てもらうことだ。今年僕は自分のため、家族のため、第1志望大学に向けて頑張り抜くことをここに誓う。
(原文のまま)
 

 
 
 
学校終ってピコピコ、いつでもピコピコ。
メール中毒が敗因
J・K 君(大村高校卒)
不合格大学/富山大学(人間発達科学−発達教育)
福岡県立大学(人間形成)
西南学院大学(教育−児童教育)
 
 なぜ今年の大学受験に惨敗したのか、北予備に入った今、もう一度よく考えてみると、勉強方法だけでなく生活態度も反省すべき点ばかりである。
 まず、勉強方法の反省すべき点は、やはり予習→授業→復習のサイクルが全くと言っていいほどできていなかったことである。私は、予習もあまりせず、復習は全然していなかった。また、授業も毎日出席していたが、先生の話を聞いている内にうとうとして、授業の最初と最後しか記憶がないことが多々あった。現役中、熱心に授業をされていた先生方、ほんとにすいませんでした(汗)。
 次に、生活態度で反省すべき点は、携帯電話という受験の敵に勝てなかったことである。学校が終わってピコピコ、塾の途中にこっそりピコピコ、家に帰ってから寝るまでの間にピコピコ・・・。今になって考えてみると、私は学校以外の場所では常に携帯を持っていて、まさに携帯中毒だった。もちろん携帯電話にハマってはいけないということは十分理解して、受験が終わるまでは封印しようと試みたこともあった。しかし、友達からの大事なメールが来ていたらどうしよう、もしかしたら、友達がメールを送ったのに返信メールが無いことを不快に思って仲が悪くなるのではないかなど、今考えてみると、友達に携帯電話を封印したことを伝え、大事なことは電話や直接言ってもらうようにすれば良かったのだが、その時は言い訳ばかりをして携帯電話を使い続けてしまった。
 以上の事が、前回の受験に失敗した、勉強方法と生活態度の一番の反省点である。
(原文のまま)
 

 
 
 
同じ部活でも結果は大違い。
友は東大、私は浪人
S・N さん( 熊本高校卒)
不合格大学/神戸大学(法−法)
 
 第1 志望の高校に合格し、浮かれ気分で高校に入学した。新しい友達もでき、部活にも入った。しかし、新しい環境に慣れていくにつれて、気持ちもたるみ始め、予習はある程度やっていたが、復習や週末課題を怠り、テストの成績も下がっていった。しかしなぜか私はそのことに気もとめないで、「なんとかなるだろう」と、根拠もなく楽観的な気持ちでいた。そしてそのまま時は過ぎていき、3 年生になった。部活が終わり、体育祭、文化祭も終わり、そこからは自分なりに必死にやったが、最後まで苦手科目を克服できず、受験する状態ではないまま受験を終えた。
 やはり反省点は、コツコツ勉強することを怠ったことだと思う。部活は土日も長い時間あったが、同じ部活の人が東大に受かったり、阪大や九大にも受かっている。やっぱりその人たちは1 年生の頃からコツコツやっていた。そして、苦手科目を克服できなかったことも、コツコツと基礎からやっていなかったからだ。特に数学は、わからない→解かない→解けないという悪循環にはまってしまった。
 精神面では、気持ちの切り替えが上手くなかったことも反省すべき点だ。ちょっとしたことで1 日中クヨクヨして勉強が手につかなかったり、勉強中も集中力に欠けるところがあった。集中しないことで予習にも時間がかかり、夜更かしをして結局授業中眠くなることがよくあった。
 これらの反省点を生かして。まず毎日の予習・復習のサイクルを守ること。そして苦手科目をなくすこと。あとは、毎日十分な睡眠をとって授業を大切にすること。細かいことは気にせず、とりあえず勉強すること。これらのことを頭に入れて、悔いのない浪人生活を送ろうと思う。
(原文のまま)
 

 
 
 
「これはもう分かっているから」は×。
東大は基礎の反復が大切
Y・M 君( 川内高校卒)
不合格大学/東京大学(理Ⅰ)
 
 私は今年、前期及び後期に東京大学、中期に大阪府立大学を受験した。合格できたのは大阪府立大学のみであった。私が学びたい学科がその大学にはなく、また幸いにも、両親も同意してくれたので、私は北予備で浪人することにした。
 私が第1 志望校である東京大学に合格できなかったのは、私の性格が大きく影響していると思う。
 まず1つ目は、取りかかりがとにかく遅かったこと。日々の学習においてもであるが、私の場合、東京大学を受験する決心をしたのが高校3年の5月だった。それまで私は、受け身的な性格も災いして、自ら大学の情報を集めたりすることもあまりしなかった。結果スタートが出遅れることになってしまった。
 2つ目は、基礎の反復を怠っていたことだと思う。いずれの教科についても、「これはもう分かっているから」と、基本的事項を何度も反復し、確かなものとしていくことをあまりしてこなかった。結果、積み上げてきたと思っていた学力は、土台がしっかりしていないものになっていた。
 また、自分には必死さが足りなかったとも思う。心のどこかで「どうにかなるさ」と考えることが多かったように思う。
こうした甘さが、先に挙げた2つのことを引き起こす原因ともなっていたのだ。例えば問題を解いて間違えたとき、正解の方ばかり気にして、なぜ自分は間違えたのか、どこが間違っているのかなど、自分の失敗に真剣に目を向けることをあまりしなかった。こうして自分の弱点は放置されたままになってしまっていた。
 こうした反省点をふまえて私が立てた今年の目標は、「自分に妥協しない」「分からなかったものは、何故分からなかったのかをしっかり考える」という2点である。今年1年はこの目標を胸に努力し、来年は東京大学に合格するつもりである。
(原文のまま)