2012「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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医学部の夢を叶えに秋田からはるばる北九州へ
 「お父さん、俺受かったよ、合格したよ!」と、夕方五時に息子からの電話。もう電話の向こうでは、大変なことになっています。
 思えば昨年のセンター試験で失敗し、もう落ちたくない一心で選んだ大学は「合格したけど行きたくない。やはり自分の夢は諦めたくないから浪人したい」と言い出しました。
 私も心の中では、浪人して再挑戦してほしいと思い、予備校を捜していました。その時、雑誌なのか新聞だったのか忘れましたが、国公立医二百四十三名合格というのが目に止まって離れませんでした。「これだ」。直感しました。すぐ資料を取り寄せ、東京校へ行くことに決めました。思ったとおり、すばらしい所でした。ただ東京校には寮が無いということで、どうせなら同じ仲間がいる本校で大志寮が良いだろうと、東京校からの薦めで東北の秋田からはるばる北九州へ。周りの人は「何んで北九州?」、本当によく聞かれました。
 入寮した翌日、友達と一緒に北予備に登校する息子を見た時はホッとしました。これで安心して帰れると。毎月チューターから送られてくるタイムカードを見ると、本当に頑張っているようでした。実際夏休みに帰郷した時は、人間として一回り大きくなったなあとつくづく感じました。本人は色々大変で悩んだみたいでしたが、萩尾チューター、寮長さん、寮母さんのおかげで成長したと思っています。
 「努力は実る」。本当にそう思いました。知らず知らずの間に実力がつき、気づいた時には「自治医」合格、本当にありがたいと思いました。冬期・直前講習で教えてもらった解き方が効を奏したそうです。またチューターから送られた北予備独自の資料も二次試験に役に立ったようです。北予備の底力を見させてもらいました。厳しいところもあるかもしれませんが、やはりすばらしい予備校だと思います。
 本当にお世話になりました。有り難うございました。
 
自治医科大学(医―医)合格 K・Y君(秋田・能代高校卒)のお父さん
 
「北予備が好き」。娘の言葉に「合格」を確信
感受性が豊かすぎる娘は、高校時代、さまざまなことに敏感に反応し、ストレスを溜め、勉強第一と云うわけにはいかず、大学受験に向けた学力不足は親の目には明らかでした。
また、娘には、教えを乞う師を人間として尊敬できないと、その教科そのものまで嫌いになってしまうと云う幼い一面もありながら、反面、非常に素直な性格で、尊敬でき、信頼できる師に出会い、そして受け入れられ、認められていると感じると、その師の希む通りに努力し、期待に応えようとするので、二倍三倍の成果を上げることができます。
その為、私は早いうちから、「一人一人の生徒を必ず伸ばす」と云う強い信念を持ち、ちょっと過保護気味、そしてうるさい位に一人一人の生徒を見つめ、愛情を注ぎ、育み、適切なアドバイスと指導をして下さる予備校を探し始め、そこで見つけたのが、東京進出二年目の北予備でした。
昨年の国立後期発表日の夕方、私に伴われて初めて訪れた北予備は、娘にとってまさに運命の出会いとなりました。
北予備で身を削る程に勉強するからこそ、家では全てのストレスを吸収する癒しの場でありたいと思っていたので、家では勉強しなくて良いように、早朝から夜遅くまでの開門は、北予備では勉強、家では癒しの良いリズムを作り、この一年を無理なく過ごせました。
娘が何より喜んだのは、良き師に出会え、北予備と授業を楽しめたことでした。先生を信じ、先生の仰る通りに努力し、仰る通りに伸びていきました。「北予備が好き」と、口にするようになった時、私は感動をもって『合格』を確信しました。
この一年、娘は『無遅刻・無欠席』でした。これは生まれて初めてのことです。北予備が本当に好きだったんだな。北予備で本気で頑張ったから合格できたんだな、と思います。北予備の全ての方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
筑波大学(人文・文化―日本語・日本文化)合格 K・Yさん(東京・桜蔭高校卒)のお母さん
 
「その通り!」北予備知るきっかけは「不合格体験記」
北九州予備校の存在を知るきっかけになったのは、不合格体験記を拝見したことです。合格体験記はどこにでもありますが、敢えて失敗談を集めた小冊子との出会いは初めてでした。そして、とても新鮮な印象を受けました。
「全ては失敗から学ぶ」。これはどこにでもある発想ですが、集められた体験記を一つ一つ読んでみると、いつの間にか「その通り!」と納得する自分に気がついたのです。それもそのはず、「当たり前のことができずに不合格になってしまった」と反省する内容の文章を読みながら、自分の子供にも当てはまることが多々あったからです。
一年前、センター試験が終わり自己採点の結果を見て、第一志望の大学には到底及ばないことがわかり、希望する大学のランクを下げて受験を試みました。結果は、不合格。私大も同様の結果でありました。そも
そも、理系大学への進学を希望しておきながら物理の勉強は未完成、化学はかろうじて勉強が追いついていましたが、理科一教科で受験できる大学の選択となり本末転倒。まさに失敗談です。
そして、一念発起。北予備で今度は物理と化学で真正面から受験に挑み、第一志望の大学の合格を勝ち取ることができました。この結果は、毎朝、始業時から行われたセンター対策朝テスト、各教科の充実した教科指導、ベテランの先生による進路指導、見直しDVDによる自習プログラム、そして、深夜まで自習室を開放して頂いたお蔭であると、深く深く感謝しております。
誠に有り難うございました。「努力は実る!」まさにその通りです。
貴校の益々のご発展を祈念しております。
 
筑波大学(理工―工学システム)合格 M・Kさん(千葉・国府台女子学院高校卒)のお父さん
 
息子は変わった。そして「地球に春がやって来た」!!
昨年の三月までは、私は「地球に春は来ないのか」と絶望的になっておりました。彼が気づかなければ、彼が変わらなければ、彼は医師になれないと同業の私ははっきりわかっていました。
今年の三月八日、ほとんど合格しているとは思えずパソコンを開いて意を決して見た画面に、彼の番号と思われるものがあった時は、本当に信じられない気持ちでした。涙がぼろぼろ出ました。一年でこんなに変われるものかという程、彼は変わりました。大人になりました。成績ももちろんですが、精神的に変わったと思います。
北予備FELIXに入れて頂き、まず字が汚いこと、先生にタメ口をきくことなど、各科の先生方から指摘され、何度もご指導を頂いたようです。彼は世の中をなめていました。これでは、医学部が受からないのも、当たり前です。それまで、親の私達は、本人にはっきり言うこともなく、立ち向かったりすることがなかったのです。自分で気づかないと納得しない子だと思っていたからです。でもそんな所から先生方は、根気よくご指導を頂いたと思います。本当に頭が下がります。
また、寮長さんや寮母さんは、わがままな上に、試験前に食事が取れなくなっていた彼を大変心配してくださっていました。本当にご迷惑をおかけしたと思います。広島大学医学部合格は、色々な方々の努力と本人の気持ちが一緒になり結実した合格だと思います。多くの方に支えられ 成長させて頂いた息子は本当に幸せです。今後、医学生となり医師になっても、一人で生きているのではなく、色々な人に支えられて自分があると認識して、多くの人のために強く賢くなってほしいと思っています。
 校長先生 面接等の的確なご指導ありがとうございました。菊田事務長、古賀先生 扱いにくい奴だったと思いますが本当にありがとうございました。私は春爛漫です!!
 
広島大学(医―医)合格 S・Y君(栃木・那須高原海城高校卒)のお母さん
 
「寮に入りたい」と息子。2年目は大いに期待できた
一年前の今頃、息子の二浪が決まりました。世は大震災と原発事故で騒然としていた時でした。父親の私も被災地ほどではないにしろ、震災からの一日も早い復旧が急務の毎日を送っており、息子とゆっくり話をする時間も持てなかったと記憶しております。二浪目に向けてどうしたものかと憂慮していた時に息子から、「北九州に行って、寮に入りたい」と言ってきた時には、「これは局面を変えられる=二浪目は大いに期待出来る」と感じました。
というのも、一浪時は「努力は実る」という古風なフレーズそのままの体育会を思わせる教育方針に共感して、北予備東京校に入りましたが、未だ寮が無く、宇都宮から新幹線通学していました。ただ、四当五落精神のような睡眠時間の短さには「授業や自習が充実しないだろうな」と心配しておりました。土日も通学していましたが、通学時や帰宅後の周囲は一般社会であり、浪人社会ではない事に由来する雑音をシャットダウン出来ない事を本人が一番理解していたとわかったからです。浪人生のプレッシャーからも解放されたかったのでしょうが……。
一浪目に比して二浪目の生活と成績は、順風満帆とは言えるものではありませんでしたが、過ぎてみれば安心出来るものだったと思います。ただ、それも外から見たもので、実際は焦りと葛藤に苛まれた毎日だったと想像しております。当たり前の事ですが、親として出来る事は何もありませんでした。
 愚直なまでに泥臭い努力を続けようとする息子の情熱と、それを続けさせる組織や集団としての「北予備と寮」の情熱が結びついた朗報であったと、改めて息子と北九州予備校に敬意と感謝をここに記しまして、二年間の想いとします。ありがとうございました。
 
山形大学(医―医)合格 S・T君(栃木・宇都宮高校卒)のお父さん