2012「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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私文系の息子は北予備でなくても…は間違いでした
一年前、この世の終わりかと思う程に落ち込んでいた息子が予備校探しを始めました。一歩前進です。
高校の同級生が行く大手予備校、高校の担任が勧める北予備。息子は自分で北予備を選びました。北予備のイメージは国公立大学受験が中心で、厳しく、私大文系志望の息子には大手予備校の方が向いているのではと思っていました。 しかし、北予備での生活習慣の大切さが分かると、間違いだったと気付きました。そして、現役時代はセンター試験さえ受験せずに、楽な道ばかり選択していた息子の本当の大学受験が始まりました。
高校時代より一時間早く起床、一時間かけて登校する。土曜も日曜も無い。慣れる迄は、かなりきつい日々が続いたと思います。北予備の生活リズムに慣れてきた頃、少しずつ成績も上がってきました。
「もっと上の大学を目指せ」と言ってくれる友人も出来ました。切磋琢磨出来る友人は大切です。日々のチューターのひと言が励みになったりと、志望大学に合格を目標に頑張る日々が続きました。
模試の結果に落ち込んだり、かなり悩んだ時もあったと思います。しかし、この一年間、北予備で一生懸命頑張って努力した事は嘘を付かないと思いました。
昨年、全落ちした大学も全勝する事が出来ました。志望大学にも合格する事が出来ました。北予備の一年間があったからこそと思います。本当にありがとうございました。
 
西南学院大学(商―商)合格 YT君(福岡・福岡西陵高校卒)のお母さん
 
母の日のメッセージ。「いつもありがとう。今年で決めます」
十二歳で佐賀の中高一貫校に送り出してから、北予備での生活も含めて、八年間の寮生活を送った息子が、ようやく大分に戻って来ました。
高三のセンター試験で、不本意な点数にもかかわらず医学部を受験し、結果は不合格。親子で緊張しながら、北予備の門をくぐったのが昨日のことのようです。「浪人は一年間だけ」と決め、滑り止めにと中期で公立の薬学部を受験。しかし、いざ入学手続きをする時になって、「果たしてこのまま医学部をあきらめていいのだろうか」と親子で納得いくまで話し合い、もう一年頑張ることにしました。「夢をあきらめずに、最後までやり遂げなさい」と息子を励ましたものの、何かとんでもない無理な挑戦をしているのではないかと不安になったものでした。
しかし、母の日に、息子から届いた葉書には「いつもありがとう。今年で決めます」という短い言葉が書かれてあり、それだけで彼の決意が窺え、今年はきっとやってくれると確信しました。先生方のご指導のお蔭で成績も順調に伸び、合格の可能性を少しでも広げるために、大分大学のAOに出願。センター試験では目標だった九割が取れ、西チューターのアドバイスもあって、前後期とも山口大学に出願しました。結果として、大分大学医学部にAO合格することができました。
西チューターには親身になってご指導していただき大変感謝しています。面談でどんなに勇気づけられたかしれません。また大志寮の中村寮長をはじめ寮の皆様、北予備の皆様、本当にお世話になりました。寮母さんの「小畑君のあんな笑顔を初めて見ました」という言葉に、思わず涙ぐんでしまいました。北予備での二年間、一日の欠席もなく、目標に向かって受験勉強に没頭した青春は、何物にも代え難い一生の宝物になると思います。北予備に子どもを預けて本当に良かったです。温かい励ましをありがとうございました。
 
大分大学(医―医)AO合格 AO君(佐賀・弘学館高校卒)のお父さん
 
1年で国公立医に合格する為、息子は北予備を選んだ
「医者になりたい。国立に上がらなかったらあきらめる。挑戦させてほしい」。
息子がそう言い出したのは、一年半前、大学四年生の夏頃だったと思います。息子は、理学療法士を目指して某大学に進学して、三年半が過ぎていました。 
「一年がんばったからと言って、結果が出るとは思えない」。これが当初の親の本音でした、とにかく、大学は卒業することを条件に、再受験を認めました。
そんな息子が「一年で結果を出す」ために見つけてきたのが「北九州予備校」でした。大学卒業して、帰省して、すぐに入寮。受験勉強の日々が始まりました。携帯もありませんから、生活の様子がよくわかりません。しかし、毎月送られてくる様々な資料でがんばっている様子を窺うことができました。
たまに電話をしてきたときに、
「こんなに自分のために何かに打ち込むのは、高校の部活以来で、毎日が充実して楽しい」とのことで、親としては安心しました。と、同時に、「いけるかも」という期待も大きくなっていきました。
そして、晴れて自治医大に合格することができました。この結果が出せたのも、本人の頑張りもあるでしょうが、北予備のおかげが大きいことに間違いはありません。息子は、北予備の先生方を、「受験に関してのプロだ」と尊敬しておりました。また、寮長さん、寮母さんにもとても可愛がっていただいたようです。本当にありがたいことでした。北九州予備校を選んだ息子の選択に間違いはなかったと思います。
この北予備での一年間は、息子にとって忘れ得ぬ、宝物になると思います。今からが本当のスタートです。スタートラインに立たせていただいて、本当にありがとうございました。
 
自治医科大学(医―医)合格 KS君(佐賀・佐賀西高校卒)のお母さん
 
ここなら大丈夫。夏休みも正月もなく勉強できたのは1人じゃないから
昨年受験に失敗した娘は、北予備に入学して再チャレンジすると決めましたしかし博多駅校に通学するか、別の学校に入って寮生活をするかずいぶん迷っていました。
その時博多のチューターさんが「決まったところがあなたの勉強するところと思いなさい」と言われました。確かにそうだと納得したのを覚えています。それからは、娘はもう迷うことはありませんでした。
小倉駅校の緑ヶ丘寮に決まり、四月一日気持ちを新たに勉強すると言って入寮しました。親の方が寮長さん寮母さんにお会いするまでは、とても不安でした。しかし寮長さん寮母さんにお会いして話をすると、ここなら大丈夫だと思いました。娘は、主人と私が帰ると半泣き状態でしたが……。
それからは、月に一回のリフッレッシュが娘との時間でした。娘の好物のお弁当を作り博多で会って、お弁当を食べながらグチを聞いてやったり、模試の結果に喜んだり励ましたりと、一年を過ごしてきました。そして受験が間近になると、親としては娘の頑張りを信じるほかありませんでした。合格できたのは、勿論娘が頑張ったからですが、北予備の環境は大きかったと思います。同じ目標を持った人たちと毎日毎日決まった時間に勉強。夏休みもお正月もなくです。でも色々な制限も自分ひとりじゃないので、できたことだと思います。
一年間の寮生活は、とても大変だったと思います。しかしチューターさん、寮長さん寮母さんのおかげで、終えることができました。振り返れば楽しい思い出になったようです。一緒に頑張った仲間は、娘の財産になりました。本当に北予備に預けてよかったとつくづく思っています。一年間浪人したものの、ちゃんと自分の第一志望の九大の歯学部に合格できたのは、北予備のおかげです。
この一年の頑張りは、娘の人生の糧になることと思います。本当に有り難うございました。 
 
九州大学(歯―歯)合格 AHさん(佐賀・唐津東高校卒)のお母さん
 
再起をかけた北予備でセンター170点アップ!親の私が驚いた
今、息子のアパート探しと学生生活の準備を済ませ、帰宅した。大学生協で「合格おめでとうございます」の言葉をいただきながら、息子の少し照れたような笑顔が彼の嬉しさをあらわしていた。
昨年三月の不合格の衝撃、何をすべきか分からなくなった空白の時期、再起をかけようと決意した時期、そして予備校の選択期を経て、北九州予備校(北予備)しかないと決め、入校・入寮を決意した。
やがて、選択期の北予備の経験と実績に裏付けられた説明が、間違いないことを確信することとなった。四月の彼の不安げな表情が、時とともに変化していった。北予備にも慣れ、受験生として自覚し、目標が明確になっていき、勉強にも集中しているのが見えてきた。
米田チューターをはじめとして、北予備の多くの先生方や事務室の方々の力を感じることができた。寮長・寮母さんの毎日のおもいやりにあふれた指導や世話が寮生の生活リズムを安定させ、ヤル気や連帯感を更に加速させた。
センター試験の結果を子供から聞いたとき、驚いてしまった。昨年の成績を一七〇点近く上げていた。北予備+寮の力が如何にすばらしいかを改めて認識し、昨年の春の選択が正しかったと感謝と喜びで一杯だ。
永い人生において、北予備での受験勉強と寮での生活はわずか一年ではあるが、彼にとって、何者にも代え難い時と場所と機会と、そして戦友を得ることができた。昨年の不合格という辛苦の谷底から自力で這い上がり、今年、合格の喜びを得た事は、彼の今からの人生で遭遇するであろう種々の苦難に対する強力なワクチンとなる事だろう。
最後になりますが、北九州予備校長崎校の皆様、そして至誠学寮の皆様、一年間大変お世話になりました。ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 
静岡大学(情報―情報科)合格 TS君(長崎・佐世保西高校卒)のお父さん