2013「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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息子は北予備で東大合格以上のものを得たと思います
 中高校一貫校で高校受験を経験しなかったせいか、もともとのんびり屋のせいか、現役時代七月までの息子の様子は受験生と呼べるものでは到底ありませんでした。息子の顔つきが変わったのは、中高と六年間続けてきた野球部の引退試合終了後の八月になってからだと記憶しております。何事もゆっくりで要領が悪い息子が人より遅く八月から始めた受験勉強が通用するはずもないのに、今思えば本当に呑気な親子だったと思います。後に息子は現役時代を振り返り、あんな勉強量、勉強方法で受かるはずがなかった、落ちるべくして落ちたと申しておりました。
 落ちるべくして落ちた息子が選んだ道が北予備でした。親元を離れひとり東京での寮生活。しかも携帯もTVもないただ勉強づけの毎日を自分で選び、結果息子は希望校に合格する事が出来ました。勿論、北予備の授業や教材が素晴らしい事もあるのでしょうが、息子にとって一番大きかったのはおいしい食事と時間管理、そうやって作って頂いた規則正しい寮生活のお陰で毎日のリズムと健康が保て、十分な勉強時間と頑張る心の確保に繋ったと私は確信しております。
 もうひとつの要因は、先生の的確な導きと寮で一緒に過ごして下さった寮生達の存在です。担任の先生は何度も相談にのって下さり、足らない所を補い導いて下さいました。また、朝が弱い息子を毎日呼び鈴で起こしてくれたり、合格発表の際抱きついて喜んでくれた友人の事を、息子は生涯忘れる事はないでしょう。
 こんな素晴らしい環境に身を置く事が出来た事に、私は母として心から感謝しています。今回希望校合格という良い結果を得る事が出来ましたが、北予備の浪人時代に息子はそれ以上の物を得たと私は感じております。この一年間の経験は間違いなく本人のこの先の糧となるでしょう。北予備に入れて良かった!先生、寮生の皆さん本当にありがとうございました。
 
東京大学(理Ⅱ)合格S・K君(岡山・岡山白陵高校卒)のお母さん
 
11月に志望学科を変更し京大医学部に合格!
 合格発表の十分前になると、息子は「寮長さんのパソコンで見させて貰う」と言って部屋を出て行きました。発表の時間になり、少し離れて様子を見ていると「よっしゃ、あった」という息子の声と、寮長さんや友達の「やったな」「おめでとう」という声が聞こえてきました。この一年間の息子の努力が報われた瞬間でした。
 現役時代の息子は、塾には行かせていましたが、家では全く勉強せず、学校の成績も模試の成績もひどいものでした。それでも志望校には通るという根拠のない自信を持ち、夜中に友達とゲームについてのメールのやり取りをするなど、緊張感の全くない生活を送っていました。センター試験の得点も思わしくなく、後期日程はその成績でも確実に合格する大学への出願も検討しました。しかしこのまま何の努力もせずに進学させることは息子の将来の為に良くないと考え、塾の先生の勧めもあり、北九州予備校にお世話になることを決めました。
 予想通り入試に失敗し、山口校にお世話になることになりました。専心寮の規則正しい生活に慣れてしっかり勉強していけるのかというのが最大の不安でした。しかし、寮長さんやチューター、北予備の先生方のご指導のおかげで、息子は見違えるように真面目に勉強に取り組み、無遅刻・無欠席を一年間貫き通しました。その結果成績も伸び、自信がついたようで、十一月に志望学科を医学部に変えたいとの連絡がありました。不安はもちろんありましたが、息子の努力を信じて応援することにしました。
 この喜びの日を迎えることができたのは、本当に寮長さんやチューター、先生方及び専心寮の友人達のおかげです。北予備及び寮の素晴らしい環境で過ごした一年は、息子の一生の宝物になると信じております。一年間ありがとうございました。
 
京都大学(医―医)合格K・T君(兵庫・灘高校卒)のお父さん
 
将来の為に必要な「努力する」という力を磨く環境
 将来、我が子が自分の人生を振り返るとき、この充実した一年があったからこそ、今の自分があるのだと思うだろう。
 北九州予備校の学舎で、そして寮で一心不乱に学んだ日々が、きっとこれからの長い人生を歩んでいくための掛け替えのない経験になったと思う。
 どんな人間でも、挫折を経験せずに順風満帆に生きていける人なんて一人もいない筈である。大きな壁にぶつかったとき、その壁を高いと思うか、それとも低いと感じるか。その壁の高さを決めてしまうのは、それまでに自身が経験してきた苦労の量に他ならない。
 一分一秒を惜しんで必死に学び、失敗できないという言葉では表現できないほどのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、それでも逃げずに立ち向かった日々。
 いずれ社会に出て厳しい現実の前に挫折しそうになったとき、きっとこの一年間の経験が力強く後押ししてくれるはずである。あの苦しかった一年を乗り越えて志望校の門をくぐることが出来たという経験が、そしてあの苦しい日々から逃げ出さずに最後まで立ち向かうことができたという自信が、きっと目の前の壁を乗り越える力を与えてくれるはずである。
 我が子を北九州予備校の寮に入れて頂いたことに心から感謝したい。
 それは我が子が志望校に合格できたからという理由だけではなく、我が子が将来厳しい社会を生き抜いていくために必要な「努力する」という力を磨く環境を提供して頂いたことに感謝するものである。
 『努力は実る』
 北九州予備校のこのスローガンは、志望校入学を叶えるためだけのかけ声ではなく、北九州予備校で学んだ子供達が、これからの長い人生を乗り越えていくための心の支えとなっていくのだと思う。
 一年間、大変お世話になりました。
 
九州大学(理―物理)合格T・I君(大阪・豊中高校卒)のお父さん
 
『2浪目は北予備以外は行かせない』
 息子の高校時代は勉学とは無縁の生活でした。よく卒業できたものです。そんな状態ですから、大学進学など考えられませんでしたが、本人が「とりあえず予備校で一年勉強して受験したい」と言う言葉を信じて浪人させる事にしました。息子の怠惰な生活を三年間知っている私としては、生活面からしっかりサポートしてくれる北予備を勧めましたが、厳しい予備校という情報に怖じ気づいた息子は、さっさと他の予備校を決めて、そちらに行く事になりました。
 案の定、自分に甘い生活は改善されず、無駄な一年間が過ぎました。「二浪させるなら北予備以外は行かすつもりはない」と、私も覚悟を決め、息子も自ら覚悟してお世話になる事になりました。今思えば、親もそれまで厳しさが足りなかったと思います。正直、北予備でダメなら私もあきらめがつくといった思いでした。
 北予備で生活が改善された息子は、初めて大学受験に真剣に向きあいました。そして現実の受験の厳しさを実感した時、挫折しそうになった時もありましたが、チューターが多くの時間を使ってくださり、何とか乗り越える事ができました。
 これまでの息子は自分から逃げてばかりの人生でしたが、もう次が無いと知ってからは変わった様子でした。
 合格できた事は本当に良かったと思っていますが、それ以上に、北予備できちんとした生活をする事で、真剣に自分の人生と向きあえた事は、これからの息子の宝になると思っています。
 無力な親に代わって、すべてを受け入れて力になってくれた北予備のチューターをはじめとする職員の方々、寮の方々に感謝の気持ちで一杯です。
 
北里大学(医―医)合格清Y・S君(長野・松本深志高校卒)のお母さん
 
息子が選んだ道は静岡から遠く離れた北九州予備校でした
 今年も桜が舞い散る季節となりました。今年はひときわ美しく感じられる、うれしい春になりました。
 高校生の時はクラスの問題児だったと思います。宿題はやってこない、提出物は出さない、携帯から目が離せない。受験する自覚が全く足りなかったと思います。
 そんな彼だったので、当然全部不合格。いったいどうするのかと思っていたら、選んだ道は遠く離れた九州で、彼の命の次に大切だった携帯、パソコン、ゲームから全く切り離された寮生活を送るという選択。本人にしたら、思い切った決心だったと思います。九州へ送り、帰りの新幹線では、私も泣けそうでした。
 しかし、五月の母の日に届いた手紙は、北予備での周りの友達の意識の高さ、決められた生活に慣れてきた事、来年の受験一本に目標をしぼるためには、実は今の環境は、とても居心地のよいものであると、書いてありました。そして締めには、自分がいかに甘えていたか、恵まれていたか、ありがとう、とあり、反抗ばかりしていた少し前を思い、私はこれだけでも北予備におまかせしたかいがあったと思いました。
 三者面談で寮を訪問した時、生徒さんが皆大きな声であいさつして下さいました。寮生同士は十二月の気持ちの張りつめた中でも仲がよくて、楽しそうでした。しかし自習時間には、ペンの音、ページをめくる音以外は物音もせず、百人の生徒の集中力に感心し、この集団の力が一人一人の力になるのだと実感しました。
 おかげ様で、春が来て、昨年からの事が、夢のようです。今思うことは、あの時、この選択で本当によかったという事です。だからこそ、手に入った勝利でした。又、北予備の一年は、受験だけでなく、彼の人生で、本当に貴重な人生経験を、大切な友を得た時間でした。親として、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 
浜松医科大学(医―医)合格K・F君(静岡・磐田南高校卒)のお母さん