2014「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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「お父さん、合格したよ!」北予備に預けて本当に良かった

 「お父さん、合格したよ!やったよー!!」
 携帯電話の向こうから、娘の弾んだ声がした。次の受験に向かって励ましの言葉を準備していた私は、突然の思いもよらない言葉に腰が抜け立ち上がれず、そして目頭が熱くなった。
 8倍を超えた徳島大学医学部医学科の予想外の高倍率に、折れそうになる心を高校時代からの恩師である校長先生の「Never Give Up」の言葉が力強く背中を押してくれました。
 現役時代から、地元の国立大学医学部医学科のみをめざして受験し続けていましたが、その事を考え直して挑んだ3浪目でした。医師になり社会に貢献する事が目標であり、地元の大学に入ることがゴールではないことに気付きました。娘にあった志望校の選定に留意し、センターがうまくいった場合、そうでなかった場合、面接対策として地元で受験できる自治医科大学で経験値を上げる。また、後期日程に備えて産業医科大学を受けておく。私立大も受験して万全を期す。全て事務長やチューターに相談にのっていただきました。そして、最終的に徳島大学を提案していただいたのは、最後の三者面談でした。受験には作戦があり、それをサポートしてくれたのが北九州予備校・沖縄校でした。
 高校からの恩師である校長先生、1浪目の北九州予備校・小倉駅校時代からお世話になり、言葉をかけ続けていただいた、事務長、姉のようにいつも面倒を見ていただいたチューター、そして面接練習や日頃のご指導をいただいた先生方や職員の皆様にお礼申し上げます。
 「努力は実る」。この言葉が私たち親子を3年間支えてくれました。ありがとう北九州予備校・沖縄校、北予備にあずけて本当によかったと実感しています。

 

徳島大学(医―医)合格 M・Nさん(沖縄・開邦高校卒)のお父さん
 
北予備のきめ細かいAO入試対策で九大芸工に合格!

 何とも複雑な不安な気持ちで迎えた北九州予備校の入学式。振り返ってみるとあっという間でありながら、実のつまった10ヵ月であったと思います。
 頑張らなければと気負うあまり、オーバーペースだった1学期やその反動で中だるみ気味になってしまった夏休みでしたが、先生方は様子を的確に見極め、アドバイスを下さっていました。夏の面談時に話を伺い、娘の経過をしっかり把握していただいているのがわかったので、安心して先生方にお任せすることができました。子供も学校と家とで気持ちのスイッチを入れ替え、家ではリラックス、勉強は北予備でと決まっておりました。
 後のない1年勝負、また学習指導要領の改訂で我が子の学年は旧課程、新課程の選択もしなければなりませんでした。ご指導のおかげで、4月のスタート時から新課程での受験を想定し、高校で学習していない新課程の範囲のフォローもして頂くことができました。
 どうしても希望している大学に行きたくて浪人を選んだ我が子に、色々なアドバイスを頂きました。幸いにもAO入試の枠が設定されておりましたので、夏からその対策もご指導くださり、早めに準備していくことができました。一般入試とは異なる出願もきめ細かく対応して頂きました。
 あっという間に迎えた冬、ピリピリした雰囲気も先生方、スタッフの皆様全てであたたかく見守って頂いておりました。おかげ様で家で心配するのは体調管理のみ、無事に受験を迎えることができました。
 ビシビシ指導頂くことを覚悟して入学した北予備、土曜日曜、祝日もない数ヵ月でしたが、選んでよかった!!これからも色々な経験をする我が子ですが、この1年も忘れられない糧になったことと思います。
 先生方、スタッフの皆様、そしてMチューター、本当にありがとうございました。

 

九州大学(芸術工―工業設計)AO合格 N・Yさん(沖縄・昭和薬科大附属高校卒)のお母さん
 
入寮説明会で息子はスマホを私に差し出した。合格への始まりでした

 現役の受験は当人も親もどこか他人事で、「今年はとりあえず何処かに受かっておけば…」というあまりにも無責任な考えでした。というのも、高校生活は中だるみも甚だしく、高1では部活に明け暮れ、高2で遅めの反抗期、高3では初めて手にしたスマホの従僕と化し、やっとスイッチが入ったのは12月という有様でした。こんな適当な受験勉強で人生の勝負事に勝てるはずがないと思っていたからです。案の定「どこか」どころか「どこにも」合格することは叶いませんでした。
 幸い息子は負けず嫌いの性格でしたので、適当に入れる大学に入るのではなく、真正面から努力して大学入学を勝ち取りたいと思ったようで、自分を追い込むために「北予備の寮生」という選択をしました。親としてもこの選択は最良だと思えました。
 気がかりは勉強の時間を浪費する誘惑でした。イヤホンで楽しむ音楽以外の娯楽は一切禁止という規則があるものの、ネットに繋がる手段があれば何でもできる世の中です。これを自ら断ち切れるかどうか、彼の場合はそこにかかっていました。それを見事にガツンとやって下さったのが入寮説明会でのHチューターの一言でした(内容はご想像にお任せ…笑)。これを聞いた息子は私に「持って帰って」とスマホを差し出しました。全ての始まりはここにあったと思います。「克己心」と言うのは簡単ですが、実行するのはどんなに大変な事か。北予備での浪人生活の一番の財産は克己心を培うことができた事だと思います。「これ位は…」を300日も積み重ねると、全国にいるライバルとの間に合否を分けるような差ができてしまう…。高校での後悔は無駄ではなかったのかもしれません。
 最後になりますが、センターで第一志望がD判定だったのにも拘らず、「傾斜配点ではB判定との差はたった17点です。2次の760点で十分に勝負できます!」と、背中を押して下さったHチューターの英断に感謝致します。
 

 

長崎大学(医―医)合格 T・Y君(鹿児島・鹿屋高校卒)のお母さん
 
「学力は最後の最後まで伸び続ける」を信じD判定から逆転合格!

 浪人が決まった昨年の春、1年間続くだろうか、成績は伸びるのだろうか、来年の春は合格できるだろうか、本当にこの予備校で良かったのだろうかと、親として決心のつかないまま迎えた入学式。保護者席から見る子供たちはみんな仲間、そして、みんなライバル。何も保証のない1年が始まりました。ぎっしりとテキストのつまった大きな重いリュックを背負い、自転車での通学。夏の頃には両肩に血がにじんでいました。親はただただ、事故の心配、健康管理しかできませんでした。
 保護者会での北予備校内の様子紹介、過去のデータの分析、チューターからのお話で、不安が少しずつ希望へと変わっていきました。本人も、励まし合える仲間が出来、リフレッシュウィークも有意義に過ごす事ができ、北予備で良かったと親子で実感しました。この一年が何の為にあるのか。我慢しなければならない事は、本人はもとより、家族にも沢山ありました。北予備に浪人生として通うということがどういうことなのか、夏の終わりに自覚が芽生え始めました。
 カウントダウンの始まった年末には進路の決まった仲間も出始め、焦りと不安の表情をかくせないでいました。私は事あるごとに、「学力は最後の最後まで伸び続ける」という校長先生の言葉をくり返しくり返しかけてあげました。本当に、心の底からそれしか言えなかったのです。
 迎えたセンター試験。昨年よりかなり点数は上がったものの、志望校にはD判定。A判定の大学、学部へ進路変更するか、親子でかなり悩みました。しかし、前期までのモチベーションを考えると、やはり今まで目指してきた大学を受ける他ありませんでした。「学力は最後の最後まで伸び続ける」を親子で信じながら挑んだ前期で、D判定からの合格でした。第一希望の学科に番号を見つけた瞬間、親子で抱き合い泣きました。この1年が走馬灯のようにかけ巡り、北予備で間違いなかったと親子で感謝した瞬間でした。

 

鹿児島大学(工―情報生体システム工)合格 K・K君(鹿児島・鹿児島玉龍高校卒)のお母さん
 
「北予備は2次試験に強い」。聞いていた通りの阪大合格!

 合格発表の朝、息子は私に「もし落ちてたらごめんなさい」と言いました。口数は少ないけれど優しい子です。こんな息子の頑張る姿を、一番近くで見てきた私は、もし残念な結果が出ようと、息子には今までの努力を最大級の言葉で誉め讃え、胸を張って前に進もうと、声を掛けてやるつもりでした。
 センター試験で目標点数に届かず、三者面談では「ボーダーライン上だ」といわれ、「いっその事、志望校を替えたら」と私は弱気な事を言ったりもしましたが、息子の意志は変わりませんでした。「二次試験で挽回する」と更に自分を追い込んで、必死に戦っていました。しかし二次試験でも思わしくなかったようで、やはり大阪大学なんて、手の届くものではなく、所詮縁がなかったんだと、発表を見る直前まで思っていました。
 パソコン画面に息子の受験番号を見つけた時、息子が「あった~」と叫びました。夢のような瞬間でした。親子でハイタッチをして涙が止まりませんでした。あの時の息子の満面の笑顔を、私は一生忘れないでしょう。息子の1年間の必死な努力が報われた瞬間でした。
 本当に北予備に息子をお願いして良かったと心の底から思っています。「北予備は二次試験に強い」と聞いたのは事実でした。あまりいい出来ではなかったと感じた二次試験でしたが、知らず知らずのうちに、息子自体のレベルがアップしていて、思ったより点数が取れていたのかもしれません。1年間コツコツ頑張ってきた成果だと思います。正しく「努力は実る」。本当に実りました。
 これから見知らぬ土地でのひとり暮らし、不安だらけの大学生活、きっと苦難の連続だと思いますが、北予備で培った驚異の精神力で必ず乗り越えてくれると信じています。最後になりましたが、担任の先生をはじめ諸先生方、1年間息子の背中を押し続けてくださって、本当にありがとうございました。私たち親子にとって、貴重な1年でした。

 

大阪大学(人間科―人間科)合格 K・O君(鹿児島・武岡台高校卒)のお母さん