2014「北予備に預けて」

 
 
母さんお願い!北予備で浪人させて
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私も感謝を込めて「北予備、最強!」

 この度、息子は第一志望である大分大学医学部医学科に無事合格することができました。私も私の両親も、この1年の息子の頑張る姿を見てきただけに興奮と感動の涙で、家族と共に大喜びしました。
 発表後も、1週間程は「これは夢なのではないか?」とフワフワした気持ちでした。というのも、前期日程1日目では「微妙」と言っていた息子が、2日目の面接では「手応えを感じた」と自信を見せていたのに、合格発表の日が近づくにつれ「自信がない」、「もしダメだったら二浪して北予備の寮に入れさせて」と言うようになったからです。私も親としてこの1年間できることはやって息子を支えてきたのに、無駄になるのだろうか、またこの苦しい1年をくり返すことになるのだろうかと、思わず悪い結果を想像してしまいました。でも、息子は合格しました。今は、北予備を信じてよかったと心から感謝しています。
 思えば1年前、AO、前期、後期と全滅し、それなのに私よりも悔しがっているようには見えない息子に対して、はがゆさと共に北予備に入ったところで果たして変われるのか、何ともいえない不安を感じていました。
 ところが、入学するや否や土・日や祝日も休まず弁当を持って朝から自転車で登校し、夜遅くまで帰らないで頑張る姿を見て別人のようで驚きました。現役受験生の頃は、塾には通っていたものの帰宅すると夜はテレビでスポーツ観戦やゲームをし、自分に甘すぎると注意する私と喧嘩になった事もありました。
 そんな息子も、北予備の熱心な講師の先生方、様々な不安に対し相談にのって下さったチューター、面接の練習をして下さった校長先生、そして共に頑張ってきたクラスのお友達、息子が最後まで気持ちを切らさずに頑張ることができたのは皆さんのおかげです。
 最後に、息子が「合格予定体験記」のタイトルにしていた言葉を、私も感謝を込めて、
 「北予備、最強!」

 

大分大学(医―医)合格 H・I君(大分・大分上野丘高校卒)のお母さん
 
「お母さん慣れたよ」「寮に入って良かった」息子の言葉に安心しました

 「努力は実る」-- この言葉の重みを今ひしひしと感じています。
 一年前の息子は、朝開いたテキストのページが夕方まで変わっていないのにも関わらず、勉強していると話し、私自身もまあ合格するだろうと安易に考えていました。そして、結果は不合格。これまでに味わったことのない思いをしたことを覚えています。
 「寮に入る」と自分から言い出し、スタートした寮生活。家でのんびりと過ごしていたため、最初は大丈夫だろうかと心配でしたが、「お母さん、慣れたよ」「寮に入ってよかった」と言う言葉にこちらも安心すると共に、寮生活のありがたさを痛感しました。同じ思いをもった仲間と一緒に、毎日規則正しい生活を送れる環境、寮長さんや寮母さん、チューターの方々の温かいお言葉やご指導等々、寮生活を送らせていただいたからこそ今年の合格があるのだと思います。
 合格発表の前、こちらが想像している以上に息子は緊張していたらしいのですが、寮の友達から「大丈夫」と励まされ、また合格発表後も、自分はまだ決まっていないのに、「合格おめでとう」「よかったな」と声をかけてくれる他の子どもさんの姿に、こちらも感動しました。
 この一年間の北予備での生活は、これからの長い人生に大きな影響を与えてくれるものになったと思います。努力をしなければ結果が出ないこと、逆に継続して努力をすれば結果として現れることを実感したことでしょう。また、物の大切さ、あたりまえの生活ができることや周りの人への感謝の気持ち等、たくさんのことを学ばせていただきました。北予備に、そして維新寮に子どもをあずけて本当によかったと強く思います。これまでありがとうございました。

 

熊本大学(工―社会環境工)合格 S・F君(大分・別府鶴見丘高校卒)のお母さん
 
「たまには家で勉強したら?」「学校の方が集中できる」と息子

 息子から「合格したよ」とメールが届いた時、今まで味わったことのないうれしさと安堵の気持ちでいっぱいになりました。
 1年前、前期試験が不合格になった時、息子は「北予備に行かせてほしい。来年もう一度チャレンジしたい」と言いました。
 友人からも北予備の合格実績のことを聞いていたので、落ち込む暇もなく、すぐに入学の手続きをしました。
 自宅から北予備大分校へは電車で片道1時間近くかかるので、寮に入れることも考えましたが、本人の希望で自宅通学としました。毎日、朝は6時半に自宅を出て、帰りは午後11時、自宅には寝に帰るだけという生活でした。「たまには家で勉強したら?」と言うと、息子は「学校で勉強したほうが集中できる。それに周りのみんなが頑張っているから自分も頑張れる。わからないことがあれば、その場で質問ができる」と、二次試験の前日までそんな生活を続けていました。
 親としてできることと言えば、毎日のお弁当作り、朝晩の食事や体調管理くらい。そして、保護者会で聞く親の役割をできるだけ実行するように心がけました。「成績が思うように伸びなくても目標を下げたら?などとは決して言わないように。最後まで子供を信じて」。「努力は実る」という北予備のスローガンを信じ、そのようにしました。おかげで志望校に合格することができました。
 この一年間は息子にとって決して無駄な時間ではなかったと思います。苦労を分かちあえる友人の存在、挫折を味わったからこそ努力することの大切さ、支えていただいた方への感謝の気持ちをきっと感じていると思います。息子へは「合格おめでとう。1年間よく頑張ったね。お疲れさま」と言いたいです。
 最後になりましたが、北予備の先生方、Mチューターに感謝いたします。ありがとうございました。

 

広島大学(文―人文)合格 Y・T君(大分・別府鶴見丘高校卒)のお母さん
 
第1志望の九大合格!北予備なくして実現叶わなかった

 「サクラサク」の言葉が飛び交う、昨年の今頃、桜の花が、これ程うらめしく思えた事はありませんでした。勉強に身が入らぬ3年間、志望大学は当然、受験出来ず、ランクを下げた国公立も失敗し、はっきりと本人の了承も得ぬまま北予備入学、維新寮入寮を決めました。初めての挫折で落ち込む息子を、寮長ご夫妻は温かく迎え入れ、「大丈夫、きっと志望校に合格出来ますよ」と声掛けして下さいました。その時は、本当にそんな日が訪れるのだろうかと思いました。
 TVもゲームもなく、定刻のバラエティに富んだ食事、毎晩4時間の自習、木目細やかな授業という親が与えられなかった最高の環境を、北予備は提供して下さいました。
 時は流れ、2度目のセンター試験で、思うほど点数が取れなかった時も、チューター始め、職員皆様の励ましのお蔭で挫ける事なく学習を継続出来ました。受験校決定の際も、第一志望校はD判定で、志望校を落とすのは必至と覚悟していましたが、Yチューターが「思い出作りのための、記念受験を勧めたりはしません」と、息子のこだわった九大受験に力強くOKを出して下さいました。1年前、上がれなかった土俵に上がる事が出来るとは思ってもみませんでした。
 そして、最初の合否を確認したのは、すべり止めの私大受験終了を待っている時でした。携帯画面に薄桃色の桜が舞い、「合格」の2文字が目に入り、思わず声を殺して、ヤッターと叫んだのを覚えています。結果、私大全て合格。そして、ついに念願の九大合格発表当日、息子がスマホを見つめ、「あった!」と言った時には肩をたたいて喜び合いました。
 全ては北予備なくしては、実現叶わなかった事です。職員の皆様には感謝の念に絶えません。本当に、本当に有難うございました。最後になりましたが、呉呉も、ご自愛下さい、そして新たに入学する子達にも、満開の桜が咲くよう、ご指導お願いいたします。

 

九州大学(文―人文)合格 K・O君(大分・杵築高校卒)のお母さん
 
息子は往復130km、3時間通学を1年間続けました

 3月、息子の受験番号を大学のホームページで見つけた時、予備校生活が終わると、ホッとしてその場に座り込んでしまいました。
 本当に長い1年でしたが、今、振り返るとあっという間でした。
 昨年、受験に失敗。
 「1年間だけ!絶対1年で大学に受かるから北予備に行かせてください」と言い張る息子に、1年間限定で応援する事にしました。
 息子の北予備通いは、電車で往復130キロ。三時間通学。
 朝、6時20分発の電車に乗り、北予備へ。夜、11時20分着の電車で帰宅し、自宅滞在時間は、7時間という毎日。
 4月は、眠くて辛そうでしたが、入学式の時に「北予備の生活リズムにすぐ身体が慣れます」と先生方がおっしゃったように、5月には慣れていたようです。
 「授業内容が分かりやすくて良いよ。自習室の張り詰めた緊張感で、勉強が捗る」と言い、自習室に13時限目まで残り、北予備の問題集を繰り返し勉強していた様です。
 受験は「団体戦」です。
 みんなが同じ目標に向かって勉強をしていたのも心強かった様です。
 今、息子は、
 「去年合格していたら大学の授業について行けずに多分、留年していた」と振り返ります。
 北予備で過ごして、苦手な科目を克服し、二次力をつけたようです。
 この1年間、遠回りをしましたが、息子にとって北予備を選んだ事が、良い結果になりました。
 「努力は実ります」。
 先生方、チューター、事務局の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

九州大学(工―電気情報工)合格 M・H君(大分・宇佐高校卒)のお母さん